<イスラエルの街並み 荒野>
こんにちは!
スピリチュアルコンサルタントで
スピリチュアルライターの知念樹里です
(^^)
前回は、密教開祖の空海様のことを始めに、四国・中国地方が、
古代イスラエルの民によってできた、「初の国家」
である可能性のある地域だということ、空海様のお母上様が
イスラエルの末裔のレビ族であったのではないかという説がある、
などというようなお話を致しました (^^)
今回はその古代イスラエルの部族のことと、そのほか関連する
お話をしていきたいと思います。
古代ヘブライ民族の始祖、アブラハムという人の孫に、
エサウとヤコブという双子がいました。
このアブラハムという人は、古代ユダヤ人が、
彼らの祖先と信じている人物です。
そして孫のヤコブはのちに「イスラエル」と改名し、
12人の息子を授かりました。これが後に「イスラエル12支族」
の基礎となりました。
<古代イスラエルの12支族の名前とマーク>
ヤコブの12人の息子は4人の母から生まれました。
それぞれが独立し、12支族の長になっていきました。
しかしそのうち、レビ族は神に仕え、祭祀を司るため
この12支族の中に入らないとされました。
レビ族を数えないので、11支族ヨセフの息子2人を独立させ
12支族に加えることになりました。
<系図にすると分かりやすいですね>
で、このヨセフは父のヤコブにとりわけ溺愛されていまして、
他の兄弟たちから恨みを買っていました。
兄弟たちの策略で、ヨセフが17歳の時に彼は奴隷として
エジプトへ売られてしまいました。
しかしヨセフは非常に優秀だったので、のちに
エジプト首相の地位まで取り上げられ出世していきます。
そんなある年、大凶作の年となり、人々は食べものが
なく飢えに苦しみます。
ヨセフの父や兄弟が食料を求めてエジプトまでやってきた時、
奴隷として売ったヨセフがまさか首相になっているのを
兄たちが目の当たりにし、とても驚きます。
兄たちはその後、奴隷として売ったヨセフのことを、
いけないことをしたのだとずっと悔やんでいたのです。
なので、生きているだけでなく、首相にまでなっていた
ヨセフと再会し、感動の和解を果たしました。
ヨセフは家族や兄弟をエジプトへ呼び寄せ、
馬車を出して迎えに行かせ、土地も食料も皆に与えました。
兄弟たちはこうしてエジプトに移り住み、快適に
暮らしました。
しかし大きな権力をっ持っていたヨセフが亡くなると、
ヨセフのことを知らない者が王の座に就き、12支族を
無下に扱うようになっていきました。
そうして12支族は以後、400年ほどに渡ってエジプトで
奴隷にされていたのでした。
そんな時、レビ族出身のモーゼが現れ、同胞を救うべく
12支族を率いて脱出をし、カナンの地(現在のパレスチナ)
を占領し、定着します。
そのカナンの地は、神がアブラハムの子孫に約束した
「乳と蜜の流れる土地」だったからです。
そうして12支族のうち、サウルが古代イスラエルの初代国王
となります。
王権は二代目にダビデ、三代目にソロモン、と続きましたが、
ソロモン王の死後、国内は北イスラエル王国と南ユダヤ王国に
分裂し、12支族は離散の運命をたどります。
はい、この12支族のうちの10支族が、俗に言う
『失われた10部族』というやつになります。
この10部族は離散した際、世界中に散らばって行方が
分からなくなってしまった部族なんですよん。
まあ、何で国が二つに分裂してしまったか、と言いますと、
色々と言われてはいますが、大きな理由の一つに、
「信仰上の理由」ということがあったのではないか、
と知念樹里さんは思います(=_=)
<イスラエル国旗 六芒星>
ユダヤ教を支持するユダ族、レビ族は南ユダヤ王国に行き、
他の10部族は北イスラエル王国へと向かって行き、それぞれの
国の建国と反映を目指したんではないかと思います。
ですが、この北イスラエル王国の10支族は、BC722年に
アッシリア王国に滅ぼされてしまいます。捕虜として
強制連行された混乱で行方不明になり、世界中に
散って行ったようなんです。
この10支族は、実はエロイム神信仰、ヤーウェ神
信仰(ヤハウェ神と言う)の流れを汲み、かつ多神教の要素を
信仰の中に持っていたと言われています。
この10支族が日本にも来たのであれば、そうですね、
日本の古神道や琉球の信仰が多神教であった理由が、
ちゃんとつながりますよね(’_’)
<日本神道の神をまつる神社は、一般的にお清めの役割を
果たします>
で、他の2支族のレビ族とユダヤ族は、ユダヤ教を
信仰にしていて、バビロニア王国にBC586年に滅ぼされ、
その後彼らの一族の生き残りからイエスが生まれた
という説があります。
ですが、このレビ族、古代イスラエルのヤハウェ信仰の
担い手であるという説もありまして、その歴史ははっきりとは
していないんです。
日本にも渡って来て、ヤハウェ信仰や祭祀などを担ったとも
言われている支族でもあります。
現代において、各支族の子孫であろうという日本人は、
だいたいその苗字でざっくりと分かっているようです。
まず、先ほどからお話しているレビ族は、「良比(らび)」、
「日々」の苗字はその末裔と言われます。
知念樹里さんのこのサイト名も、『日々スピリチュアル』。
実は私はこのサイト名はぎりぎりまで考えて付けたのですが、
その時は「日々」がレビ族の末裔であることは知らず、
姓名判断とご加護を頂いている「上」の方々にお尋ねして
命名したのです。
そうしますと、古代イスラエルのことを書くことになりまして、
あ、やっぱり私の「感」は当たったか、と思った次第で
ございました。
母方の愛媛県の先祖がレビ族ではなく、おそらく私の何代も
前、初代かそこらの前世で、レビ族として司祭を執り行って
いたであろう、という霊的記憶がうっすらと残っていまして、
その縁でサイトの命名、このブログテーマを書く流れになったか、
というところなんです~~~。
<目印のグソー花(ハイビスカス)『日々スピリチュアル』>
こういうのもご縁ですね(^^)
では他の支族はどういう感じかと申しますと、ダビデ王の
流れを汲むユダ族は、日本に来て日本最大の豪族・秦氏
になったんですが、その子孫は、秦、波田、羽田、旗、畑、端、
波多、幡、旛、波多野、秦野、畑野、幡野、籏野、旗野、畑中、
畑山、などなどが挙げられます。
その他、「ひえだ(稗田、日枝、冷田、日江田)」
「ひゅうが(日向)」、「八重(やえ)」もユダ族の
末裔と言われています。
鰐、和仁、鰐川、鰐口、鰐洲、鰐石、鰐田、鰐部など
「わに」のつく苗字は、バニ族の子孫と言われており、
この鰐族はレビ族の末裔と言われています。
邪馬台国の卑弥呼時代に、ガド族がいたとされていますが、
その長は「那古(なこ)」と言う苗字だったそうです。
ガド族は、他には「なごや(那古屋、名古屋)」等があります。
またその昔、天皇のことを「ミカド」と言っていましたが、
これはヘブライ語で「ガド族の出自」という意味になります。
ダン族は分かりやすく、「だん(弾、団、壇、弾、談、旦)」が
ダン族の末裔である可能性が高いとされています。
次にナフタリ族。「田利(たり)」「ひなた(日向、日名田)」
のほか、「南部(なんぶ)」などもナフタリ族の子孫。
エフライム族は「良井(らい)」、マナセ族は、
「まなせ(曲直瀬、真瀬、間名瀬)」の他、
「まの(真野、間野、目野)」がその末裔とされています。
アシェル族は「足利」「足尾」「足柄」「足寄(あしょろ)」
「芦別」「尻別」「奥尻」「橋(はし)」などの地名・姓名が
残っています。
そしてイサカル族は、「飯盛(いさかり)」「井坂」
「坂」「石狩」「然別(しかりべつ)」などが末裔の苗字だと
考えられています。
ベニヤミン族の末裔は「紅谷」「紅屋」「紅山」、シメオン族は
「島(しま)」「住吉(すみよし)」「清水(しみず)」、
「掘(ぼり)」「巽(すぶる)」はゼブルン族の子孫だそうです。
そして「渡島(おしま)国」はシメオン族。
他には、薩摩藩の島津家の家紋の十文字は、
ルベン族の紋章と同じで、源頼朝とルベン族との間に
もうけられた男子が島津氏となったのでは、
などと言われています。
さらには「阪(べん、さか)」もルベン族の
末裔だとの説があります。
他にも「袋(だい、ふくろ)」はザブダイ族(ユダの支族)
からのご縁です。
こうして見ますと、私たちの言語も、古代イスラエルの言葉に
端を欲していることが分かりますね。
<日本人苗字>
さて、これらの中にあなたの苗字はありましたか?
知念樹里さんは残念ながら、この中にはありませんでした~(=_~)
残念!
では今回もまた最後までお付き合い下り、ありがとうございました!
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。