古代イスラエルと沖縄~久高島のイザイホウ~

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは!

 

 

 

スピリチュアルコンサルタントで

 

 

スピリチュアルライターの知念樹里です
(^^)

 

 

 

前回までで、琉球の神様たちは、実は古代イスラエルの神様たちでもある、

 

 

ということを文化的及び言語的な類似点からアプローチし、

 

 

わたくし知念樹里さんの過去の霊的な体験の裏付け、をいたしました。

 

 

 

 

今回は、古代イスラエルと沖縄、沖縄と日本本土をつなぐ

 

 

 

神様のお話しをしていきたいと思います。

 

 

 

 

<「トリイ」も古代ヘブライ語で「門」を意味します>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたくし知念樹里さんの実家の敷地にいらっしゃる神様は、

 

 

 

八重山諸島でもっとも古い神様で、日本を含む沖縄全体の国造りにも

 

 

 

関わった神様である、と先祖からの伝承があります。

 

 

 

 

また伝承だけでなくて、知人のヒーラーやスピリチュアルカウンセラー、

 

 

 

先輩の霊能者、ユタの方々も共通の見解を示していて、天皇家にも関与があった

 

 

 

神様ではないか、との共通の霊視、鑑定の結果もあります。

 

 

 

 

 

 

天皇家と沖縄の八重山の神様と、何の因果関係があるんだ?

 

 

 

とお思いの読者の皆様 (^^)

 

 

 

 

これですね、どっちも古代イスラエルの神様だ、となったら納得がいくんですよ~。

 

 

 

で、どう納得いくか、お話しを続けていきますね(^^)

 

 

 

 

 

 

沖縄本島の最北端にある、伊平屋(イヘヤ)島。

 

 

 

この伊平屋島にクマヤの洞窟、という場所があるのですが、

 

 

 

そこは日本神話に出て来る、天照大神が隠れたとされる

 

 

 

天の岩戸伝説の土地と言われています。

 

 

 

 

 

 

<神美的な伊平屋島のクマヤ洞窟>

 

 

 

 

 

 

え?沖縄に天の岩戸?天照大神って日本の神様でしょう?

 

 

 

 

 

と不思議な感じを受けますが、この説を唱えたのは江戸時代の

 

 

 

国学者である藤井貞幹という方。

 

 

 

 

日本の初代天皇の神武天皇が生まれたのは伊平屋島であり、

 

 

 

その根拠としてクマヤ洞窟こそが天岩戸伝説の地なのだと唱え、

 

 

 

 

当時かなりの激論が繰り広げられたのです。

 

 

 

このクマヤという言葉は、例のごとく古代イスラエル語のヘブライ語では、

 

 

 

「神の外壁」という意味になります。

 

 

 

 

 

 

そうなるならば、古代イスラエルの神々を崇拝したのは沖縄のみならず

 

 

 

日本本土もしかり、ですから、天の岩戸に隠れた神様が古代イスラエルの神様に

 

 

 

端を欲しているのであれば、日本本土ではなく、沖縄の伊平屋島に居ても

 

 

 

 

まあ、おかしくはありませんよね。

 

 

 

 

 

そして日本神話では、神武天皇の母方の祖母、豊玉姫と、母親の玉依姫は

 

 

 

姉妹であり、竜宮の海神様の娘でした。

 

 

 

もちろん竜宮は、琉球のことで、沖縄本島の読谷村の海辺の、

 

 

とある洞窟から入って行く入口があると伝承があります。

 

 

 

その洞窟の入り口は、普段は海水が満ちていて入れないものの、

 

 

 

潮が引くと海側からその洞窟が見え、中に入れるのだそうです。

 

 

 

 

 

<竜宮城入口ではないですが、青の洞窟。読谷村にある霊的スポット>

 

 

 

 

 

 

 

神武天皇の祖父の山幸彦が、無くした釣り針を探して竜宮の豊玉姫のところへ

 

 

 

行く話は、日本神話では有名な話でもありますね。

 

 

 

 

 

これは沖縄が南九州の天皇家に力を貸していたことの表れではないか、

 

 

と見る説もあります。

 

 

 

 

 

同時に、神武天皇と竜宮のお姫様が縁故であるなら神武以前の

 

 

 

神代の神々たちは、琉球の出自でもあり、そこには古代イスラエルの風を

 

 

 

感じずにはいられないと思うのです。

 

 

 

 

 

沖縄の伊平屋島には、神武天皇が産まれた龍穴(くまや)がありますし、

 

 

 

また、神の島と言われる久高島には、後の日本神話の原型とも

 

 

 

思われるアマミキヨという神による降臨伝説や国造りの伝説が残っています。

 

 

 

 

もう継承者がおらず、なくなってしまいましたが、

 

 

 

12年に一度行われていた久高島のイザイホー

 

 

という儀式(ブログ最後の<注釈>にて説明)も古代イスラエルに

 

 

 

端を発していると思われるものです。

 

 

 

<朱リィキーの円舞(比嘉康雄氏著の『前掲書』より)>

 

 

 

 

 

 

よく古代イスラエルの信仰は、神だけを崇拝するものであり、

 

 

 

先祖を崇拝する信仰ではないから、沖縄のそれとは違う、

 

 

 

というようなことも言われたりするようですが、実はこの先祖崇拝は、

 

 

 

仏教や儒教などの影響で沖縄に導入された価値観で、本来の沖縄には

 

 

先祖崇拝はない、ニライカナイ信仰だけが基軸として存在していた、

 

 

とも言われているのです。

 

 

 

 

<ニライカナイ。遠い遠い、東の果てにあるという、約束の地>

 

 

 

 

 

 

そうよね~、わたくし知念樹里さん、おかしいと思っていたんすよ、

 

 

 

先祖って子孫に祟るわけ?何で?

 

 

 

ユタの人たちって、どうして祟る先祖のことばっかりしか言わないのかしら?

 

 

 

と、疑問だったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

いや、世の中には最近よく聞く「毒親」なるものもかなりいるようなので、

 

 

 

そうした毒親が亡くなって彼の世へ行かずこの世にとどまって、

 

 

 

子孫にあれこれと要求する、っていうことも十分ある話でしょう。

 

 

 

でもね、でもですね、毎回毎回、そうした毒親やならぬ「毒先祖」の

 

 

要求や祟りばっか、ってのはおかしいんじゃないかしら。

 

 

 

 

そう思う私としては、この古代イスラエルの信仰がベースとなっている、

 

 

 

という見解には、非常に納得が行くところでもあったりするわけです(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄は古代イスラエルの信仰がしっかり根付いていたことから、琉球王国では

 

 

 

祝(神)女を中心に祭祀一致の政治が執り行われ、島々の各地において

 

 

 

独特の宗教儀式が培われて来たのでしょう。

 

 

 

 

そこには、神に仕えることを願ったイザヤの一行を中心とした古代イスラエルの民は、

 

 

祖国で行われていた宗教儀式、信仰を新天地でも執り行い、伝承させていきました。

 

 

 

 

 

 

今も沖縄で垣間見られる伝統行事では、旧暦で執り行われるそれらと、

 

 

 

イスラエルの暦との共通点も多くあります。

 

 

 

 

 

例えば1月14日は旧暦の大晦日で、トゥシヌユル(年の夜)と呼ばれ、その日は

 

 

 

夜に豚の血を切り干し大根に混ぜた血イリチー(山羊の血と肉や内臓などを一緒に

 

 

 

炒めて煮たもの)を祭壇にお供えしてから食べ、夜明けまで起きていないと

 

 

 

災いに合うと伝えられています。

 

 

 

 

 

<豚のみ、ヤギのみ、あるいは豚とヤギを混ぜた、というものもあります>

 

 

 

 

 

 

翌15日に正月を迎え、ご馳走を供えて餅を食べ、祝日は七日間続きます。

 

 

 

 

イスラエルでもニサンの月(1月)の14日の夕方に生贄として動物を屠り、

 

 

 

その血を家の二本の門柱につけます。

 

 

 

そして15日から種なしパンの祭りが始まり、餅に似ている発酵していないパンを

 

 

 

七日間食べ続けるのです。

 

 

 

 

また、古代イスラエルの過越祭りも七日間きました。

 

 

 

 

 

そんな沖縄は、日本でももっとも信心深い信仰を反映し文化が培われ、

 

 

 

霊能者、霊媒師の祝(神)女やユタが多い地域になっていきました。

 

 

 

 

 

ヤハウェの神は、イスラエルの神であるとともに、沖縄の神であり、

 

 

日本人の神でありました。

 

 

 

同時に全世界の人々の神でもあるんじゃないかな、と私は思います。

 

 

 

 

そしてその根底には、善悪の区別すらない、エロイム神という膨大なエネルギー体、

 

 

 

多神教の最高神で天空神が、いわゆる宇宙の真理なのではないだろうか、

 

 

 

と知念樹里さんは考えているわけですが、これについては後々

 

 

違う方面からお話ししていこうと考えています(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今回も最後までご拝読頂きまして、ありがとうございました(^^)

 

 

 

 

次回もまた古代イスラエルのスピリチュアルワールドから、

 

 

知念樹里さんのお話しをお届けしますね(^^)

 

 

 

 

 

 

 

<注釈:久高島のイザイホー>

 

 

沖縄県南城市にある久高島には、かつて12年に1度、久高島で生まれ育った

 

 

30歳以上の既婚女性が、神女(ノロ、神職者)となるための就任儀式でした。

 

 

久高島は琉球で最高の聖地の島で、男は海人、女は神女と言われます。

 

 

1978年を最後に、伝承者がおらず消えてしまった祭祀行事となりましたが、

 

 

推定600年ほど続いた儀式と、歴史的資料記録に残っています。

 

 

儀式は12年に一度の旧暦の丑年、11月15日から4日間行われるもので、

 

 

ニライカナイからの来訪神を迎え入れ、新しい神女たちをその来訪神に

 

 

任命してもらい、立ち去るまで見送るというもの。

 

 

来訪神信仰の原型として、民俗学者たちがごぞって研究していました。

 

 

最後のイザイホーを取材した民俗学者の吉野裕子氏は、

 

 

「祭りの中にいく度も二重の輪が形成されるのはトグロを巻く蛇の

 

 

ゆるやかな動きの擬きであろう。(略)イザイホーは島の成女が、

 

 

人間の身でありながら蛇に昇格する儀式として見ることも可能である」

 

 

(『蒲葵と蛇と北斗七星と』1979年2月、沖縄タイムス、新聞連載)

 

 

 

と述べています。

 

 

 

この久高島にはバイカンヤーと呼ばれる、イラブー(海蛇)の薫製小屋が

 

 

あります。沖縄と蛇の関連性がここでも出てきます。

 

 

 

 

そして島にはこんな伝承があります。

 

 

 

 

 

久高島のあるところに老夫婦が住んでいました。

 

ある日、おじい(祖父)が死にそうになりました。おばあ(祖母)は、

 

 

 

アカララキ森に向って浜に立ち、こう拝みました。

 

 

 

「おじいを助けてください、どうかおじいのマブイ(魂)を

 

 

抜かないでください」。

 

 

 

すると、おじいはみるみる間に、奇跡的に元気になったのです。

 

 

 

久高島ではこのように、病気で死にそうになったりしたら

 

 

アカララキ森の神に祈るんだそうです。

 

 

アカララキに拝んでも治らない場合は諦めるしかないとのこと。

 

 

つまり、「生命はアカララキが握っている」のだとか。

 

 

ですので久高島のこのイザイホーは、アカララキの神あって

 

 

はじめて成り立つものでした。

 

 

そしてまた、イザイホーは、神女たちが祖先霊を受け継ぐ魂のリレーでした。

 

 

 

祖霊をその身の内に降ろして「神女へと就任」、とすることが出来る

 

 

久高島の神女たち。

 

 

<イザイホーの中の、神の印の儀式>

 

 

 

 

 

 

そうですね、この祖霊は、古代イスラエルから沖縄へ渡って来た人々の霊、

 

 

つまり、イザヤの予言で東を目指してきた祖先の霊たちのことでしょう。

 

 

その祖先のみ霊と一緒に、祖先が信じていた神々もやってきて、

 

 

久高島にも根付いた、とも考えられるのではないでしょうか。

 

 

沖縄の先祖崇拝はここからきているのかもしれませんね。

 

 

遠く故郷を離れて、沖縄、日本を目指してやってきた祖先たちへの

 

 

ねぎらいと感謝、その御霊を身の内に再生することで、最大級の敬意を表し

 

 

遠い記憶を共有すべく、イザイホーを執り行ってきたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そこに思いをはせると、古代久高島のイスラエル民族の真摯な思いが、

 

 

私たちの遺伝子に残る遠い記憶が、

 

 

 

魂のリレーの一部としてじわじわ蘇ってくるようですね。

 

 

 

 

<沖縄最大のセーファー御嶽からは、神の島・久高島へ向かって祈るのです>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スピリチュアルコンサルタント

 

 

スピリチュアルライター

 

 

知念樹里

 

 

 

追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。

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