こんにちは!
スピリチュアルコンサルタントで
スピリチュアルライターの知念樹里です(^^)
引き続き今回も、古代イスラエルのお話しをしていきますね。
前回は、古代イスラエルが崩壊した後、旧約聖書に出て来るイザヤの予言のように、
祖先の土地、東方にある約束の土地を目指せと言われて
渡ってきたとされていますが、実は沖縄本島を含む日本列島が、
その約束の土地だったと言われていることと、彼らがアジア大陸の東の端から
台湾を超え南西諸島に到達した時、大自然豊かなその土地に安息を見出し、
そして黒潮の流れに乗って沖縄本島へ、北上して島々の流れの上にある淡路島、
さらにその先の東北へ、と向かって行ったとの見解がある、
という部分に言及したかと思います。
<イスラエル 要塞 ダウイ イメージ図>
今回はそれらの因果関係についてお伝えしていきます(^^)
紀元前600~700年あたりで国家が崩壊し、新天地を求めて
移動していった古代イスラエルの民、つまりユダヤの人々は
全員が全員、沖縄や日本へやってきたわけではありません。
世界中に散らばったのです。
その中のあるグループが、ひたすら東方面へ船で移動して行きました。
<砂漠を超え、遠い遠い、約束された地へと、ユダヤの民は向かっていきました>
このグループは、旧約聖書に出て来るイザヤの予言に導かれて、
東にあるという神との「約束の地」を目指して突き進みました。
その中にはおそらくダビデ王の子孫と思われる人々や、
王家の司祭をつかさどる民族一派も同行していただろうと思われます。
彼らは新しい土地で平安の住を求める以外に、彼らのユダヤ王朝を
継続する目的も持っていました。イザヤの予言を授かった彼らが望むのは、
その「平安な土地で神の訪れを待つこと」でした。
神の約束の地を信じた彼らは、海岸沿いを船で渡り、東へ向かい
台湾を超え南西諸島、八重山諸島へと渡って行きます。
<当時の船旅は、おそらく命がけであったでしょうね>
そこで彼らが最初に到達するのが与那国島。日本最西端の島です。
この与那国島、名前の由来は定かではありません。
しかし旧約聖書の中に、ヨナ書という項目があります。
その内容は、魚にのまれたヨナという者が一命を取りとめ、
その後魚から吐き出されて陸地にたどり着いた、という話が記されています。
<与那国島 祖納港>
この陸地が現在の与那国島で、名前の由来はこの「ヨナ」を取って「ヨナ」の国、
それがなまって「与那国」になったのではないかと言われています。
この与那国から東の石垣島までは、距離にして100km余りです。
八重山諸島はもともとは島の稜線が八つの山によってつながっていて、
それらが重なって見えることから八重山、と名付けられたと
言われてはいるのですが、
どこから見ても八つの島を同時に眺めることはちょっと難しく、
この説はこじ付け的な感じが拭えません。
しかし、古代イスラエル人の言語、ヘブライ語では
「ヤーエー」という言葉は神を意味する言葉なのです。
ですから、八重山を、神の山、と意味して名付けた、と解釈するのが
自然な感じがしますよね(’_’)
<石垣島の海と緑>
「約束された東の島の山々に、神が訪れる」-。
そんな思いを込めて、八重、という名前を付けた。
古代イスラエル人たちが目に浮かぶ気がしませんか?(^^)
そしてこの「八重」は、沖縄本島に行くと、八重岳や、那覇近郊の八重瀬町、
八重島など、あちらこちらで見られます。
そして那覇、「ナハ」は、ヘブライ語で「安住、安息」という意味があるのですね。
古代イスラエルの人々は、自然豊かな八重山列島、
沖縄本島で、安住できる神の約束の地と見込んだのでしょうね。
もちろんそれだけに限らず、他にも色々な共通点があります。
八重山諸島のうちの一つの島、波照間(はてるま)島では、
世界の始めに二人の兄弟がミシクの洞窟に隠れ、大洪水をやり過ごし
生き延びた、という神話の伝承があります。
ノアの箱舟の洪水と似た伝承ですね。
<日本最南端の波照間島の碑>
そして沖縄本島の伊平屋島は、「ヤハウェ」がなまって
「イヘヤ」となったと思われます。
沖縄本島各地のこうした地名だけでなく、沖縄と古代イスラエルの
文化的なことも幾つも、似通っていることがあるんです。
ざっとあげてみますと、まず、沖縄で3月3日(天神祭の日)に行なわれる
”浜下り(ハマウイ)”という行事があります。
沖縄本島のみならず、八重山諸島にもある行事です。
これは特に女性が浜に下って沐浴して身を清め、安泰を祈願する日ですが、
同時にこの禊は蛇の子を宿さないため、とされています。
<海で清め、蛇(アカマタ―)の子を流す目的があるのが浜下い>
沖縄には何故だか、蛇と女性にまつわる話が結構出てきます。
古代イスラエルでは、「第3の月の新月の日に、(太陰暦では)
1日と2日の2日間着物を洗って聖別し、3日目(3月3日)に
主がシナイ山に降りて来られ、モーセに『十戒』を授けた、
と旧約聖書の中に出てきます。
似ていますね。着物は当時、河川で洗うわけですから。
また沖縄では、血の穢れである出産や月経を「不浄」であるという
考えがあります。
神の島と言われる久高島では”血不浄(チーブジョウ)”といい、
その期間が来ると女性たちは、産屋にこもっていた風習があります。
恋愛、縁結びで有名なパワースポット・古宇利島には「エデンの園」、
「堕罪」の物語と「荒野で降ったマナが止んだ」という話が
合体したような伝説があります。
その内容は、
「昔、男の子と女の子がいて、素裸で園を遊びまわっていた。
おなかがすいたら自然にいつも、天から餅が降ってきた。
しかしある時、餅を蓄えておこうとすると、いつも降ってきていた餅は
天から降らなくなった。
なので二人は苦労して働かなければならなくなった。
そうこうしているうちに、二人は裸であることが急に恥ずかしくなり、
木の葉をつずり合わせて腰に巻いた」
というものです。
<アダムとイブのお話しに似ていますね>
これは、餅を蓄えておけ、という指示を、実は蛇が女の子に入れ知恵した、
というような説もあります。
そしてアダムの肋骨からイブが作られた、というお話しから派生したと
思われる諺(教え?)に、沖縄ではよく方言で
「イキガヤ・ソーキブニーヌ・ティーチタラーン」
と言います。
男の人は肋骨が一本足りないので、男は女に夢中になると
愚か者になる、という意味です。
そうやってアダムもイブに騙されて、りんごを食べて
しまっていましたね(笑)。
<沖縄には毒はないが荒々しいアカマタ―(蛇)の話がちょくちょくあります>
そして沖縄ではもちろん位牌には戒名はなく、ユダヤの慣習と同じように、
「×××~の子、○○」、たとえば、「モーゼスの子のイザヤ=
イザヤ・ベン・モーゼス」と言う風に書きます。
そして拝所であり、沖縄の神社のような役割を果たしている御嶽(ウタキ)ですが、
その場には基本的に何にもありません。
お香の檀はあるのですが、あるのは石だけ、とか、木々だけ、とかで、
これも偶像崇拝を禁じていることと通じるものがありますね。
<久高島の遥拝所。何もないで~す>
あと、沖縄の人はよく豚を食べますが、昔のユタやノロは、
豚は「汚れた動物」であり罪人の食べもの、であるという理由で、
一年中 豚を食べなかったとされています。
神の島と言われる久高(くだか)島では、一般の人たちも
正月の3日間は豚肉を食べません。
これはイスラエル人にとって反芻しない豚は汚れた動物で、
食べることを禁じられていたのと全く同じですね。
<汚らわしいのではなく、愛らしくないですか?食べるの、抵抗あります>
そして沖縄全体に、「島クサラシ」、「カンカー(看過)」
「看過牛(かんかうし)”」と呼ばれる古来からの風習が伝わっています。
これはどういうことかと言いますと、屠った牛の血を、
ススキや桑の葉などに浸して、家の入り口の柱や鴨居に塗って
家や町の”厄除け”をする風習です。
この風習は、エジプトにいたイスラエル人に、エジプトに対する
主のさばきとして、死の天使がその家の長子を殺さないよう、
天使への目印として屠った羊の血をヒソプの枝葉に浸して
入り口の柱や鴨居に塗ったのと同じ感じです。
極めつけは三位一体の儀式です。
沖縄の信仰では偶像はありませんが、神様が降臨してくることへの
象徴として「柱」があります。
これは、旧約聖書の中に出て来る、荒野を放浪する民を導いた
「雲の柱(昼)」、「火の柱(夜)」は神の臨在である事と
同じと読み取れます。
そして沖縄の神礼拝では、まず東西南北の「四隅拝み」をし、
12の御使いのために「12本香」を使い、
そして「中神(ナカジン)拝み」のために「3本香(3本が1束になった香)」
を使います。
12という数字は、古代イスラエルの
12部族(旧約聖書に出て来る12の部族)ですね。
かつての祖先へ思いを込めて、12という数にしたのでしょう。
この「中神」というのは、宇宙の真中の神、
もしくは家の中心の神、という意味で「三位一体神」です。
方言では「三天の神(ミティンヌカミ)」ともよばれます。
ですので3本線香を使うわけです。
この三神は、
①絶対神、②女から生まれた神、③天降りの神、
あるいは
①先祖の神、②天降りの神、③地の神霊、
などを意味しています。
<オロモウツの三位一体>
このことはキリスト教における、主なる神の3つの現れの、
①父なる神、②天から地上に来られたキリスト、③地上に臨在する聖霊、
と解する事ができますね。
一番のポイントは、沖縄の信仰の基軸となるニライカナイ信仰。
はるか遠い「東のかなた」に楽園があり、そこから沖縄の神はやってきた、
と信じられていたのがニライカナイ信仰です。
古代イスラエルの民も、東に約束された神の地があると信じて
琉球界隈までやって来ました。
ニライ、とは、べブライ語で穀物が出来る良い土地を意味し、
カナイとは土地や名声を手にし、そこに永住する、という意味があります。
つまりニライカナイとは、食物が豊富に出来て、安住し長寿がかなう理想郷だ、
ということになりますね。
<東のかなたのニライカナイ。それだけを信じ、命がけで海を渡った祖先の思いが
悠久の時を超えて心に響きます。>
まあ、さっとこのように上げたら次々と類似点が出て来るわけで、
沖縄も日本も、古代イスラエル人の血を引いている、と
いうことが出来るんじゃないかと思います。
ですので、琉球の神様たちは、古代イスラエルの神様たちでもある、
ということは否めないわけです。
そうなると、うちの実家にいた神様も、イエス・キリストっぽかった
ことや、追いかけてきた悪魔がサターンぽかったことも
十分説明がつく、ということになるわけですね(’_’)
移住してきたグループの中には、ソロモン王の子孫だっていたでしょう。
ソロモン王は術者としても有名ですよね、いわゆる悪魔召喚、とも言われていますが、
私は個人的には、これは後々の平安時代の陰陽師につながり、式神を使ったという術に
通じているのではないかと思います。
もちろん、この知念樹里さんの家系の祝(神)女も基本的には
祈祷ありき、ですから、こうした術の原型に当たるわけです。
いやあ、知念樹里さん、発信する霊力家系なので、
霊視や霊媒的な受信霊力はそんなに強くないんじゃないかしら、
と思ってはいましたが、このあたり、
中学校時代くらいから視えていたものの数々を顧みると、
一応、そこそこプロのレベルはありまっせ、ということですかしらね~(^^)
まあ、プロなので、霊力自慢をしてもしょうがないのですが(笑)
さて、今回はこのあたりで閉じて、次回は古代イスラエルと沖縄、
沖縄と日本本土をつなぐ神様のお話しに迫っていきたいと思います。
今回も最後までご拝読頂きまして、ありがとうございました(^^)
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。