こんにちは!
スピリチュアルコンサルタントで
スピリチュアルライターの知念樹里です(^^)
引き続き今回も、古代イスラエルのお話しをしていきますね。
前回は、ユダヤ教が成立する前、天空神であるエロイム神がいて、
このエロイム神は善悪などの人格設定のない多神教の最高神で、
旧約聖書の宗教グループであるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の前身である
ヤハウェ信仰のヤハウェ神に進化する前の霊的エネルギー体であった、
というお話しをしたかと思います。
<エルサレム 旧市街地 嘆きの壁>
はい、このユダヤ人の国家なんですが、古代イスラエル時代、
王国を建立し栄えたものの、古代エジプトの権力者に
捕らえられ、エジプトに奴隷として連れて行かれちゃいます。
<エジプトの壁画 ピラミッドなどの建立で奴隷が必要だったのかも>
しかしそこで黙ってじっとエジプト人に奴隷で使われっぱなしであったかというと、
そうではなく、エジプト脱出を試みたグループがいたんですね。
これが、かの有名な、モーゼが虐げられていたユダヤ人を引き連れて
エジプトを出る、というお話しです。
旧約聖書の中の、『出エジプト記』に創作を交えて記述されています。
<ユダヤ教は旧約聖書のみが聖書になります。なので新約はありません>
『出エジプト記』は、ユダヤ人の逃亡の歴史を書いた最初の記録だとされています。
以後も初期ローマ時代でのユダヤ戦争に敗れ、ローマ軍から逃げ延びる
ユダヤ人の姿がありますが、この時はヨーロッパにおけるユダヤ人の離散
という結果につながった、という歴史的見解がなされています。
こうした経緯から、ユダヤ人は、土地を大事にするよりも
自分たちが迫害から逃れ新天地へ向かう、という性質を帯びて
世界中に拡散していきます。
<世界へ拡散していった古代ユダヤの人たちは何を思っていたのでしょう>
さてこの『出エジプト記』に出て来るモーゼですが、一般的に私たちが
知っているのは「モーゼの十戒」で有名な人物、という部分ではないでしょうか。
<有名な十戒を手に、民を率いるモーゼ>
彼は当時、虐げられていたユダヤの同胞たちをエジプトから脱出させた宗教的指導者で、
その際、神から与えられた十の戒律を「モーゼの十戒」といい、その戒律は
神の意志だとされています。
以下は、プロテスタントで言い伝えられている十戒の抜粋です。
<十戒>
1、主が唯一の神であること
2、偶像崇拝をしないこと
3、神の名をみだりに唱えないこと
4、安息日を設けること
5、父母を敬うこと
6、殺人をしてはいけないこと
7、姦淫をしてはいけないこと
8、盗んではいけないこと
9、だましてはいけないこと
10、隣の人の家をむさぼってはいけないこと
このあたりのお話しになってくると、エロイム神からヤハウェ神に移行し、
多神教から一神教へとだんだん変容し、民族統一のために幾分か
脚色を施された言い伝えになってきているのが若干、感じられますね。
まあ、民族が統一しなくては目的も絞れないわけで、ここで言う目的は、
約束の地へエジプトの虐待から逃れること、につきないわけです。
<脱・エジプト! イメージ写真>
知念樹里さんの霊的な見解と、独断で見ると、多少なりとも
人為的なものを感じてしまうのですが、まあ、全てがそうかというと
そうではない部分も残っていますので、ここはちょっと話もそれることですし、
このままモーゼのことをご説明していきますね(^^)
で、この十の戒めが書かれた石板というのが、前回でもお話しした
「ラピス・ラズリ」の石と言われています。
エジプトは当時、ファラオ(王)の棺内にふんだんに宝石を使って
装飾を施していましたが、もちろんこのラピスも使われていましたので、
手に入れることがそんなに大変ではなかった(もちろん高価なものに変わりは
なかったでしょうけれど)のではないかと思われます。
<様々な宝石、貴石が使われたツタンカーメンの装飾>
古代の人々は、こうした宝石やパワーストーンと呼ばれる類の貴石に、
不思議な力を感じていたのでしょう。
このパワーストーン、石や宝石のお話しはのちのち少し
じっくりと回数を用意してお話しさせて頂ければ、と思っています。
で、モーゼのエジプト逃亡のお話しですが、彼は民族と一緒に
逃亡している際に、エジプトの王から追われて絶対絶命の危機に陥ります。
その時モーゼは持っていた杖をかざし、海を真っ二つに割って道を作り、
神の約束の地へと同胞を逃がすわけです。
<真っ二つ~~~!!!>
はい、ここ!
ここです!!
実はですね、沖縄にあるんですよ、この現象。。。
沖縄本島東部の勝連半島と、平安座島の海上は潮が引くと
歩いて渡れる道が出来るのです。
<割れたというより、潮が引いて道が出来た、という感じ>
で、この勝連一帯は、実は沖縄本島で一番土地が重たい地域、と言いましょうか。
南部の第二次大戦の激戦地区なんぞよりひんやり、重い一帯なのです。
どういうことかと言いますと、私が視えたものは、このエリア一帯を取り囲む
大きな、大きな六芒星が人獣の血で描かれており、その六芒星が土地の深いところに
浸透している、という図です。
<魔法陣っぽい六芒星のようでした>
そしてその血は、ものすごく古い、古い血で、錆びのようになっていて、
それでもエネルギーが風化せず重たいまま残り続けている、
という映像が飛んで来たことがありました。
<古く、黒くなって錆びているような色の血でした>
あれは数年前のことになります。
たまたま私の友人で、非常に霊感の強い、どちらかと言うとかなりの
霊媒体質の友人と、勝連地区一体を何となくドライブしていた時のことでした。
いきなりそういう血の六芒星が地盤にしみこんでいる、というような
映像が飛んできて、何だろうと思っていると、友人曰く、地場が重たい、とのこと。
ああ、やっぱり同じように分かるのね、と、その友人に
私が視えているものを説明すると、もちろん友人も同じ映像を視たとのこと。
何だろうね、と2人で不思議そうに話していましたが、いつものような
霊的な感覚というのではなく、初めての感覚でした。
もちろん「血」、しかも古い、大量の血、ということなので
あまりいい感じは受けませんでしたが、奇妙な印象ではありました。
だってそもそも琉球王朝には、六芒星なんかは出て来ません。
ですので、これは勝連城が出来た前後での琉球国内の戦争による
流血で土地が染まったものではなく、それよりももっとっもっと
古い、錆びるほどの昔に出来たものなのです。
<勝連城跡。血の古さからしたら、全然新しい>
血が錆びかけているので、それは霊的なエネルギーとしては
やや風化しかけていると言えるのですが、しかしそれでも
これだけの規模の六芒星の血を土地に浸透させる、というのは
第二次大戦並みの人間と動物の数、ひょっとしたら
それ以上の人の血を犠牲にしなくてはならないわけですが、
当時それだけの人口が沖縄にいた、とは考えにくいんですね。
それだけの血を「術」として施したのであれば、やれる人はそんなに大勢はいません。
霊的な見解からすると、大量の血は使っていないにしても
生贄的な要素で血を使い、そこに術を複数の術者でかけた、と
いったところかな、と。。。
<地盤に術をかけていく イメージ図>
少量でも、量子を扱える強もの術者が複数いれば、このくらいの
大量の血の量子にまで膨らませることは可能だろうなあ、と思いますが、
何のため?って、読者の皆さんは思われることでしょうね。
まあ、もちろん血を使って霊的エネルギーをどうこうするのは、
この時代だと、悪魔召喚のような意味合いですよね(--;)
悪魔を召喚して、こちらの願いを聞いてもらう、という儀式、といいますか。
悪魔召喚と古代イスラエルの民は、ソロモン王の流れを汲む部族であれば
魔術を知っていても不思議はありませんよね。
う~~~ん。それにしてもすごいパワー。。。(--;)
はい、知念樹里さんの霊的見解はここでいったん置いといて、
歴史的見解に戻りましょう~(^^)
この古代イスラエルが崩壊した後、旧約聖書に出て来るイザヤの予言のように、
東方にある約束の土地を目指せと言われて、渡ってきたとされていますが、
実は沖縄本島を含む日本列島が、その約束の土地だったと言われているのです。
<沖縄の航空写真>
アジア大陸の東の端から台湾を超え、南西諸島に到達した時、
大自然豊かなその土地に安息を見出し、そして黒潮の流れ
に乗って沖縄本島へ、北上して島々の流れの上にある淡路島、そして東北へ、
と向かって行ったとの見解があります。
<八重山諸島 地図>
その証拠として、沖縄はもちろん、日本本土にも古代イスラエルの片鱗が
言語や名前、書物、宗教儀式、風習など色々見受けられているから、なのですね~。
私の好きな六芒星も本土の幾つかの神社にはありますし。
それらの因果関係があると思われるお話しについては、
次回以降で色々とお伝えしていきますね(^^)
今回も最後までご拝読頂きまして、ありがとうございました(^^)
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。