こんにちは!
スピリチュアルコンサルタントで
スピリチュアルライターの知念樹里です(^^)
前回までは、ノロ、ユタについて何が違うのか、
どういう存在なのか、をご説明させて頂きました。
今回は、ユタを始めとする、いわゆる霊能者と言われる方々が、
色々と活躍されていらっしゃったのがだんだんと
その力が落ちて来る現象についてお話しさせて頂きます。
沖縄では霊感の高い者のことを「サーダカー」や、
「タカウマリ」(高生まれ、霊感が高く生まれてきた、の意味)
などと言います。
ノロにしろ、ユタにしろ、基本的にはこの「タカウマリ」で
霊感が高い生まれをしていることが第一条件となります。
で、ユタはほとんど「カンダーリ」と言われる憑依的なものが
降りてきて、それが治まったらユタになる、つまりその能力に
磨きがかかる、と。
ノロにはそれがない代わりに、瞑想や祈祷の修行をしたりして、
超自然的な世界との交信を行い、地域住民のお願いごとを、
その世界に念として祈りという形を通して送り込むことをします。
もちろんその過程で交信をしたりすることもありますから、
霊視という能力も開発しなくてはいけないわけです。
ユタは、「カンダーリ」の後は、修行なぞしなくても、
ほおっておいても「視える」わけで、その力を駆使して「判断」
という霊視をするわけです。
これがだんだん評判になり、周囲の人が訪れるようになり、
遠方からも、本土からも通う人が出てくるようになって、
二か月先でも予約がいっぱい、というような状態になっていき、
そこまで予約いっぱいではなくとも、それなりに相談者が増え、
日々忙しくなっていったとします。
そうしますと、朝から晩まで相談者の「判断」をこなす、
つまり、持てる力をどんどん使い、使っていくようになるわけです。
この霊的な力というのは、コップに入ったお水のようなもので、
水を注げば注ぐだけ無くなっていくんです。
無くなって行ったらどこかで水を補充しないといけませんね。
ここがポイントなのです。
人の鑑定をするということは、実はその人の厄をはじめに、
一切合切の「負」(ネガティブなもの、こと)を浴びるということです。
ましてやその人に、成仏していないような霊体がついていたり、
生霊のようなものがついていたりしたら、その分まで
「負」を浴びることになります。
それを浄化し、使った霊力(沖縄方言でセジと言います)を
補充してあげないといけないのですが、補充する間もなく次々と判断をし、
相談者を受け続ける状態が何か月も、下手をしたら何年も続くわけです。
いくら大きな井戸並みのコップ持ってますよ、というユタでも
さすがに何年も使いっぱなしでは、枯渇してしまうのです。
よく巷では、ユタや霊能者が売れてきたらはぶりが良くなり、
儲かるようになるとお金の亡者のようになって、後ろについて
いらっしゃる指導霊もいつの間にか低級霊に変わり、
その力は失われていく、というようなお話しを耳にします。
まあ、そういうこともあるでしょう(-_-)
でもですね、低級霊でもそれなりに人間よりは視えたりするわけですからね、
そこと力が失われる云々の関連性は、必ずしもそうとは
言い切れないこともあるんです(-。-)
わたくし知念樹里の見解では、ユタさんたちは修行もせずに
いきなり「カンダーリ」で能力が開花するので、その開発方法や
メンテナンスの方法が分からないのだろう、ということなのです
。
例えは、かの有名な空海さん、弘法大師様。
彼は、はっきり言ってもともとの霊力はありません。
虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を唱える山岳修行を
お若い頃になさっていまして、その際に「明けの明星」が口に
飛び込んできて、体中にその光が満ちたという体験を語っていらっしゃいます。
そこから彼の群を抜いた天才ぶり、多才ぶりは世界規模になっていくのですが、
そんな空海さんは後に国家鎮護の祈祷までこなすほどの、すごいお坊さんになります。
杖を突いたら温泉が湧き出た、洪水で結界ばかりしていたダムが
彼の指揮と祈祷で建設成功、現代まで残っている等、
空海伝説はきりがありません。
また空海さん以前の行者も、山伏修行で似たような山岳修行をし
その能力を開発なさっている方々は結構いらっしゃいます。
残念な点に、ユタの方は修行なしに「カンダーリ」、いわゆる
地域共同体からの要請で松果体が覚醒し、アカシックレコードへ
アクセス出来るようになる、という状況になってしまうものですから、
いわゆる「生まれたまま」のような力をそのままになさっている方々が
多いようにお見受けするんですね。
もうちょっとちゃんと研究して、どうしたら維持出来るのか、
自分に合うメンテナンス方法はどれなのか、
それは具体的には、相談を受ける時間を少し止めて、
例えば一日5人見ていたらそれを3人に減らして、
その時間で自分自身の霊力補充や浄化の
メンテナンス時間に充てるなどとしたら良いだけ、なのです。
もったいないですよね、霊力って、一度枯渇したら
その後はどんなにトレーニングしても、修行しても
二度と復活することはないそうなのです。
なので、この力は有限だということです。
大事に使わないといけませんよね。
あともし、そんなに毎日メンテをしなくても良いような状態になれるとすれば、
それは自分の霊的体質に合った土地へ行き、そこで構えてこの仕事をする、ということです。
このことは実は、わたくし知念樹里が沖縄を離れてから知った、驚くべき事実でした。
え~~~~???
知念樹里は沖縄に居ないの~~~~???!!
という読者様の声が聞こえてきそうですね(笑)
はい、実は知念樹里は、わけあって沖縄を離れております( ´艸`)
いや、それも色んな意味でのお導きですので、
私は天にお任せして沖縄を出たわけです。
いわゆる本土のご縁を頂いた仏様からのお導きでもありますので。。。
というわけで、次回は、沖縄を出るにあたっての不思議なお話しを交えて、
土地のエネルギーについてお話しいたします。
今回も最後までご拝読頂きまして、ありがとうございました(^^)
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。