こんにちは!
スピリチュアルコンサルタントで
スピリチュアルライターの知念樹里と申します(^^)
今回は、前回の続きからお話しを進めたいと思います。
前回は、沖縄ユタの「判断」料金について少し触れたかと思います。
今回その料金についてのお話しと絡めて、ユタとノロに関して
ご説明を加えていきますね(^^)
あ、ちなみにこの「判断」というのは、いわゆる「鑑定」という意味で
使われ、大まかにいって5,000円から2~3万円くらいの間であることが一般的です。
私もその範疇と、お寺さんや神社などの料金形態、各種占い師さんの
料金形態を考慮して、世間的なプロの相場価格ということで
設定させて頂いております。
で、この価格なのですが、実は、難しいところなんです。
貰いすぎも、貰わなさすぎもいけないからです。
どうしてかと言いますと、世の中の出来事の法則は、全て等価交換だからです。
例えば私をはじめ、スピリチュアル関係の鑑定士の方々や
霊能者の方々が、ボランティアでいいので、料金は結構です、として鑑定したり
無料で祈祷をしてあげたとします。
私やその霊能者たちは他人に善行を行った、ということで、
私たちの大なり小なりの「カルマ(業・罪)」が解消され、人生が豊かになり、
幸せに近づきます。
で、無料で施しを頂いた方は、他人に無料で仕事をさせたという、
カルマ(不幸)が発生してきます。
そのカルマを相殺し、相談者をお守りする意味合いで金銭のやりとりが
鑑定時に発生するわけです。
そもそも、寄付という行為もある種、カルマの解消につながる行為でもありますし、
仏様にお供えするお賽銭やお酒やお米、果物類、お菓子類にしても
言ってみれば金銭のやりとりなわけです。
特に密教系の天部の仏様たちの多くに願い事を聞いてもらうには、
信仰心や毎日の礼拝以外に、お布施とお供え物を欠かさないように、などと
言われたり、天部はお布施次第、という言われ方をしていることも
あるくらいです。
これは、他の菩薩や明王などよりは仏のランクが下、つまりは人間に近い
神仏様が天部の仏様たちであり、彼らはより人間の気持ちが理解できるから
お供えやお賽銭、お布施を出す側の気持ちも理解下さる、というような
話があったりします。
なので、こうしたスピリチュアルなことにつきましては、
相場価格というのはある意味、最低限のラインのことでもあるわけです。
そもそも昔のノロは現代価格でいうところの、年収1,000万円超え、
土地は1,000坪ほどもらえて、退職金は7、000万円ほど、の待遇だったわけで、
それを用意して初めて琉球国はノロへ祈祷の依頼が出来た、という相場がありました。
その額の大きさと、支払いの継続性を用意しないでノロに祈祷をさせると、
依頼者はカルマ(不幸)をかぶりますよ、ということを意味していて、
これはどうしてそこまで高い相場なのかを考えると、単純なお話しです。
人間ごときがアカシックレコードへアクセスして、そこから特定の
共同体意識空間に特定の念を送り込む祈祷の技術が難解であること、
その体力気力の消耗度、
場合によっては命を落とすようなこともあるから、なのです。
ただまあ、今は、国家お抱えの鑑定士や、国家鎮護レベルの祈祷を求められるような
ご時世ではなく、個人のご要望に合わせて、という小さい規模になっていますので、
リスクも命がけ、とまではあまり行きません。このことを考慮に入れると、
先にお話しした相場価格は妥当かな、となるのではないかと思います。
ですが、人の話を聞くのに使う時間の問題や(時は金なり、という
こともあります)、聞かされる愚痴、悩みはネガティブな念を持って
いますので、それを受ける仕事の対価、というのは、そんなに
安くて済むわけでもないんです。
カウンセラーの一番の死亡理由は自殺だそうです。
占い師や霊能者はカウンセラー的な業務を担います。
自殺とまではいかずとも、精神的に滅入ってしまう業務を日々
抱えているわけで、そこを金銭で相殺している事実もあるんです。
それを無料で、とかって要求する方への跳ね返り、反動ってどんなものに
なるのかしら、と想像するとちょっと怖いものがあります。。。
カルマのお話しをさせて頂いたついででもありますので、少し怖い、
現実にあったお話しを紹介しておきます。
以前、私への問い合わせで相談されてきていた方が、
「私は鑑定料金を取らずに無料で鑑定や祈祷をしている霊能者を知っている、
その人は修行のためそうして無料でしていると言って1円たりとも
お金を受け取らない、とてもボランティア精神の豊かな、素晴らしい方である、
こういうことは神様ごとの仕事なのだから、あなたもそういう風に
素晴らしい心がけは出来ないのか」
と、遠回しにおっしゃってきたことがありました。
この時点で私は、ああ、この方、カルマをかぶり始めるな、と感じたので、
一通りこのブログで先に述べたように、なぜ料金が発生するのか、
対価とは、カルマとは、という部分をご説明したメールをお送りしたんですね。
そうこうして、問い合わせや料金についてのやりとりの最中で、
幾つか、以下のような不思議なことが続けてあったそうなのです。
まず、この方の子供がいきなり麻疹(はしか)に罹ったとのこと。
子供の他に同じクラスの子が2人、子供より半年以上も前にかかっていたが、
子供がその2人に接触したのは当然半年以上も前のこと、麻疹の発症の
潜伏期間にしては長すぎる、と担任が不思議がっていた、とのこと。
子供の麻疹が治った1週間後、今度はおたふく風邪の症状が出たそうです。
しかしわずか2日で症状が改善。病院に連れて行ったものの、
医師はおたふくではないと診断。
結局、何だったのか意味が分からない症状となったのだそうです。
そして、この方の旦那様は職場へ行く時、同僚の車に同乗して
通勤されているとのことですが、ある日、在宅中に外から大きな音で
空気が抜ける音が聞こえたのだそう。
その後、同僚が迎えに来て気にせず旦那様は一緒に車に便乗して出たのだが、
1.5kmほど運転したところで車のタイヤがパンクしているのが判明して、
旦那様が家に戻ってきた。
その同僚の車は2か月前に新車に買い換えたばかり。
しかし、タイヤに大きく切り裂かれた跡があったとのこと。
お断りしておきますが、私が念を飛ばしたりしているわけでは
ありませんので (-_-)
そんなことをしたら、私は割に合わない対価を払わないと
いけなくなってしまいます。
いわゆる、人を呪わば穴二つ、という対価です。
こうした気味の悪い、あまり良くないことが続いたのは、
この方は「問い合わせ」
という名目で、メールで幾つも幾つも質問を尋ね、私に無料で
霊感を使わせ、答えを要求していたことと、
最後に、(鑑定は)専業主婦でお金がないので、お願いしたいが出来ません、
とのこと、そして、お金を取らない霊能者のことを出して
遠回しに私にそうするよう暗に要求してきたのです。
ですので、「ご自身の行為に対するカルマ」という対価を「上」から
支払わされ始めたのでした。
デパートで食べ物を開封し一口だけ食べて、「全て買うお金はないので、
残りは結構です、食べませんから、ではさようなら」という人が現れたら、
デパートはたった一口であっても無銭飲食として、その人を警察に
引き渡すことになるわけです。
こうした現実の目に見える対価は、警察へ引き渡しになっても、
まあ、結果は知れていますよね。
ですが、霊的なことでカルマで対価を払わないといけない、ということは、
考えてみると、けっこう怖いことなのです。
この問い合わせをしてきた方が、他に誰か無料で見てくれるという霊能者を
探さないよう、コトの重要性に気づきますように、とお祈りしようかと
思いましたが、それもその方の学びなのかもしれないと思って、
結果は神仏様の思し召しで良いかと、途中で止めました。
止めないと余計カルマが飛ぶかもしれませんし。。。
このようにカルマを受け取ったり与えたりしないために、
いわゆる相場のお金というものを間に介在させて鑑定や祈祷をするわけですが、
相場を超えた高額な金額を取る方々も、またカルマを自らかぶります。
いわゆる、前回のブログでお話ししたような、一回の祈祷料が
世間的な相場よりかなり高く、さらにその祈祷をあちこちでやるので
総額200万円ほどかかりますよ、というようなケースのことです。
霊感商法なんかもこれに似たところがありますね。
貰いすぎ、貰わなさすぎ、そのバランスが大事で、バランスを崩すと、
対価を払わなかった人、あるいは貰いすぎた人のどちらかで、
現世の運に傷が入るわけで、そうなると日々の人生に
色々と支障が出たりします。
気をつけないといけないわけなんです。
どの程度の支障なのかは、その人がすでに持っている、
背負っているカルマによっても違ってきますので、一概に言えません。
先にご説明したような、お子様の不思議な発症の仕方をする病気が続いたのと、
不審な音を聞いた後、迎えに来た同僚の新車タイヤがパンクしていたこと、
同僚はその車を運転してきたのに、旦那様を迎えて乗せてしばらく走るまで
パンクに気づかなかった等々、何やら諸々が変な感じがして
起こっていることではあれ、とりあえず命に別状ない状態で済んでいます。
この程度の場合もありますし、その程度では済まない場合もあるでしょう。
逆に過去の本人や先祖の徳がたくさんあるので特段何も起きない、
というような場合もあるでしょう。
いずれにせよ、そもそもボランティアは人に強要されたり指示されたり、
要求されたりしてやるものではありませんですしね(^^)
それでは今回はここら辺にしておきますね。
最後までご拝読頂きまして、ありがとうございました(^^)
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。