こんにちは!
スピリチュアルコンサルタントで
スピリチュアルライターの知念樹里と申します(^^)
今回は霊力の種類について、沖縄ユタとの違いを比較しながら
説明していきたいと思います。
このブログをお読みの皆さまでも、沖縄のユタとノロって何が違うの?と
思っている方がほとんどではないかと思います。
これまでの説明で何とな~~く分かったような、
分からないような、というところではないかと思います。
と、言いますのも、私がユタについてはまだ詳しく
お話ししていないからなのですが、ここから少しずつ触れていきますね。
ユタの能力は大きく分けると、千里眼と呼ばれる霊視能力と、
屋敷や土地のお祓いをする気の流れを読む霊的な風水処置能力、
そして病気治癒の処置や祈祷、という風に
ユタ個人個人の指導霊によって力の差はあれど、
だいたいこの三つを基軸にした能力が、ある日突然に開眼します。
生まれながらにそういう力がありました、というような方は、
ユタをしてらっしゃる方の中では非常に少ないだろうと思われます。
私の父方の親類のおばぁたちの中には、もちろんユタもいまして、
1人を除くほぼ全員が、神憑きと呼ばれる(沖縄方言では神ダーリと言います)
症状が出て、数か月も高熱にうなされ意識が朦朧としたり、
あちらこちらを夢遊病のようにさまよったり、現代で言うところの
統合失調症のような症状が出たり、謎の皮膚病に犯されたりなど、
まあ、見ている方もどうしていいのか分からないような苦痛の日々が
その本人の身の上に発生します。
私の場合はラッキーなことに、ノロ的な資質が強かったおかげで、
この神ダーリで苦しむことなく、気づいた時には
霊的な体験をすでにしていた、というような感じでした。
この神ダーリですが、興味深い事象として、実は山伏の山岳修行なんかでの
護摩祈祷などの際、何日も飲まず食わず祈祷を続け、苦痛を通り越して
意識が朦朧としてきた状態や、あるいは密教僧が険しい山々への山岳修行を
何か月も毎日行う時の心身の状態の時、つまり修行で究極に自分を追い込んだ
行きつく先の状況に非常に似ている部分があります。
つまりこれは、スピリチュアル用語で言うところの
アカシックレコードへアクセスした状態を言います。
さてさて、このブログの読者の方にも、アカシックレコードとは何ぞや、
とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
少し知念樹里にてレクチャータイムを開始しますね(^^)
アカシックレコードとは、宇宙が始まった時からの、全ての事がら、
生き物全ての想念、感情等の情報が記録されたくわえられている、
という記憶の階層次元空間を意味します。
アーカーシャー、またはアストラル光にそのあらゆる出来事が
刻まれていると言われています。つまり光に記録がなされている
とされています。
宇宙が生誕してからのあらゆること全て、という情報量は、
まあ、それはとてもとても人間ごときに耐えられるような代物ではございません。
そんなものまともに一気に見たら、それこそどっか~ん、
気が狂ったようになってしまいますよ(==;)
わたくし知念樹里は、そんな世界にワープしません。
てか、したくありません (-_-)
スピリチュアルコンサルタントの風上にもおけないような
発言をしてしまっていますが、いやあ、そんな世界、必要な分だけ、
ちょっとでいいのですよ。
霊視鑑定の際に、目の前にいる方の前世情報でカルマを読む時に
断片的にアクセスする、とか、そんな程度で良いのです。
キャパを超えた次元量にアクセスをすると、
人間ごときは死んでしまうでしょう(-”-;)
けれど山岳修行の密教僧の方や、山に籠って不眠&飲まず食わずの山伏さんたち、
神ダーリが来たユタさんたち、彼ら彼女らは個人個人のキャパ超えのところに
行ってしまうので、苦痛極まりない状況になってしまうのですね~。。。
<山岳修行のワンシーン>
いやいやいや、知念樹里さんにはそんなこと絶対に無理。
てか嫌っす(’_’;)
あなたはユタになるんだよ、なんていう生まれをしなかったことに感謝、
おばぁが積んだ徳のおかげでラッキーでいられることに
感謝、感謝です。。。m(__)m
でも、修行という方法で能力開発を選んだ僧侶の方や、山伏の方ならいざ知らず、
ユタの方はそれまで普通の一般ぴーぽー(People)だったわけで、それがいきなり
はい突然っすよ、でそんな目に合ってしまい、本当にお気の毒だよなあ、と思います。
それ、神様が選んだ、という言い方を良く聞きますが、
心理学的な言い方では、おそらく共同体意識からの要請と
本人の潜在意識との引き寄せ、量子論的な解釈になると、それが
分子レベルで流れ込んだ、引き寄せられた、となるのでしょうね。
心理学も量子論も分からなくても、神様と例えたら誰でも理解できますものね。
そうしてユタの方は神ダーリを先輩ユタの方に治めてもらったりして、
落ち着いたとたん、いきなりユタになってしまっている、というのが
ユタデビューです(そんな言葉があるかどうかは。。。ですが)。
で、いざユタになる、ということは、他人様の「厄」を
一切引き受ける、という大変な役目を背負うことになるのです。
いわゆる「神様のパシリ」とでも言いましょうか。。。
まあ、神様のパシリと言えばノロもそうなのですが、
ノロの場合は、信仰に基づいた祭祀を担当し、琉球国王をはじめ、
島民のため、国家のために超自然的な次元と交信し祈祷する、
というのが本来の仕事ですので、大変なことと言えば
与えられた御嶽(ウタキ)の日々の管理や毎月何回かの
決まった日に祈祷や儀式や、というような、「場所」縛り、
自由のなさ、後は祈祷が効いたとか効かなかったとかの
大変さであるとか、ユタとは少しまた違う大変さですよね。
今はノロ制度も廃止になっていますので、実質は形骸化して
御嶽(ウタキ)もノロがいない場合はユタが守っている
わけですが、ユタはいわゆる民間シャーマンで、ノロは
国家公務員のシャーマン、というところで、求められる能力が
大ざっぱですが、分けられます。
こんなに大変な思いをして、他の人の厄を一切引き受けて
神様のお使いをするユタの方々ですが、まあ、中には
ただの霊感商法?と思うようなやり方をするユタもいます。
そもそも薬事法違反なので、病気のことなんかは触れてはいけない
ご時世なのですが、昔からの伝統でそこも引き受けたまんま、
ユタに見てもらう人も特段 どうこう言う風潮もなく、というような
昔ながらの伝統が沖縄にはまだ残っています。
でも、薬事法違反はダメですよね、いくらお客様のニーズでも。
そもそもユタは商売ではないので、ニーズどうこうというような
ものもない、と言えばないのですが、「ユタ買い」という言葉も
ありますので、占い師に見てもらう、お坊さんにお経を読んで
もらってお葬式をしてもらう、的な、半分商売のような要素が
ないわけでもない、という、グレーゾーンな部分があります。
一般的に、本土でお寺さんや神社でご祈祷やお祓いをお願いする際、
料金はだいたいこのくらいですよ、という相場が決まっています。
ユタにはそういうような相場、というのはないのですが、
神社やお寺さんの目安と同じような感じであれば、妥当かな、と
思って良いと思います。
それより高い、あるいは何度もあちらで祈祷が必要、次はこちら、と、
あちこち次から次へ連れまわすような方はお断りした方が良いでしょう。
私も過去、何度かユタの方には見て頂いてきていますが、
明らかにおかしいよね、という方々もいまして、
一回の祈祷で10万、それも私の場合は各御嶽(ウタキ)をまわらないと
いけないので、総額200万くらいになる、とのことでした(笑)。
だいたいにおいて、そういう方は私の出自を見抜けない
方ばかりでしたけれど。。。
自分で祈るので、大丈夫です、お気持ちだけで、、、とお断りしました。
皆さんも注意なさってね(^^)
それでは、次回は、ユタの料金の話が出ましたのでそこについても
少しお話ししたいと思います。
今回もまた最後までご拝読頂きまして、ありがとうございました(^^)
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。