<その時、息を吹き返した四葉のクローバーのような気分でした>
ごきげんいかがですか、読者の皆様(^^)?
スピリチュアルライターで、スピリチュアルコンサルタントの
知念樹里です。
前回は、願いを叶える奥の手(条件付き)は、聖天(しょうでん)様
とのご縁を頂くこと、というお話を致しました(^^)
今回からは、ワタクシが頂いた板チョコ(お願いごとの成就)と、
聖天様を信仰していた有名人たちが頂いた板チョコ(以後、聖天様に
お願いを叶えて頂いた、ということを、板チョコ縛りでお伝えして
いきますね!)の幾つかをお話していきたいと思います!(^^)
<聖天様、こんな大きな板チョコ下さるの??!>
さて、ワタクシ知念樹里さんは、ご縁を頂いた当時というのは、
2年ほど続く運気の乱気流に振り回されている時期でございまして、
人間関係、仕事関係、お金の面等、すごく波乱、きつかった時期に
なります。まさに、苦しい時の神頼みか、というところなのですが、
今考えると、そうでなかったら聖天様とご縁は結んでいなかったんでは
ないかな、と思います。
まさに人を選ぶ仏様、ということなのでしょうね (-_-)
<泥のような現世で、汚されず美しく花開く蓮。このように
生きれたら、もう人間卒業!神様・仏様一年生になります>
聖天様にご縁を頂くのを躊躇していた理由は、まあ、色々お噂が
すごかったから、なんです(~0~;)
祟り神であるとか、
荒ぶる神であるとか、
約束を破ると七代先までの富を奪うとか
行者も命を取られる場合があるから怖がっているとか、
信仰を途中でやめると恐ろしい死に方をするとか、
etc.
<いや~~~、やばいって~~~!!!!!!>
とにかく、色々噂がすごかったのですが、ほら、樹里さんって
霊感あるんで、それらの噂が全部、作り物ではなくて
当たらずとも遠からず、なのに感づいていたので、ご縁を頂く決心が
つかなかったのです。。。 (-・-;)
ですので、ご縁を頂いた時は開き直り、半分やけくそのような
気分でした(笑)。
どのようにご縁を頂いたか、といいますと、ワタクシはいきなり聖天様に
参拝もせず、浴油供(よくゆく)というご祈祷をお願いしたところから
始まったのです!
いやあ、大胆ですよねぇ(笑)
沖縄にいた当時、聖天様を専門に祀ってあるお寺へ行くにはちょっと
距離的に遠く、また金銭的にも厳しい時でしたので、参拝から始めず
参拝に行けるよう、仕事のあるポジションと、そのポジションの
お給料を下さい、とお願いしたのでした。
で、そのポジションのお給料というのは、当時、それまで頂いていた
お給料の約2倍の月給でした。
この初めての私への板チョコは、一か月とたたずに
現実のものとなりました。
<まあ、でもその金額はお前の成果と釣り合うし打倒やで>
浴油供の後、2週間ほどである人に助けて頂いて、そのポジションへ
推してもらい、お給料も公募のあった額をつけてもらい、勤務先の
私の雇用契約書を修正することとなったのでした。
いやあ、この時は本当にびっくりしました~~~ (^^)
感謝、感激でしたね。
10日間の浴油供をお願いして2週間するかしないか、のうちに
そんな流れになったのですから、聖天様の凄さというのはこれか!と
実感したのでございました。
<わあ~~~~い、やったあ~~~~!!!>
はい、ところで、聖天様をあまりご存じない方は、
この浴油供とはいったい何だ?とお思いでしょう。
これは、ゴマ油のお風呂を沸かして、聖天様の像を湯あみする
ご祈祷方法です。
聖天様を祀ってあるお寺には、「浴油仏」といって、
この浴油供(浴油祈祷とも言います)専用の聖天様の像があります。
この祈祷は、密教の中でも秘法中の秘法ですが、聖天様への
ご祈祷の中でも最も秘密にされていて、そして代表的な
ご祈祷方法になります。
まあ、素人が真似できるようなことではありません。
後ほど密教のことについても少し触れていきたいと思いますが、
そもそもが密教は、基本的には師匠から弟子へと伝えられるべき
教えとされていて、かの最澄(さいちょう)が、空海さんへ教えを
乞うた、ある一つの書物を貸してもらえなかった逸話は有名です。
書物に書いてあることだけを書き写したり、読んだり、というのでは
誤解を招きかねないこともあるので、師匠から伝授しないといけない、
ということで、空海さんはその書物を貸さなかったのです。
こんな感じで聖天様に限らず、密教はあまり公にしない教えや
経典があり、特にインドからいらっしゃた天部の仏様がたへの
ご祈祷というのは秘法とされているものがほとんどです。
そもそも、初めてこのゴマ油のお風呂で湯あみをしながら祈祷する、
という祈祷方法を聞いた方は、理解に苦しむ方もいらっしゃるでしょう。
え?
何でゴマ油?
しかも仏像に湯あみ?
<ゴマ油のお風呂で湯あみ?>
などと思う方もいて当然でしょう。ワタクシ知念樹里さんも最初、
何故?少しいぶかし気に思ってしまいましたしね。
でもそれも理屈にかなっている、といえばかなっていることでも
あるんで、今ではなるほどね、と思います(^^)
聖天様の専用お供えものが、何で出来ているかを見たとき、
そして仏像というものは修行を積んだ行者が「開眼」させたものでないと
効き目がなく、しかも仏像ごとによって、「敬愛法」や「息災」や
「増益」などに分かれている、とされていまして、どの仏像を
祀ってあるか、によって、少し違ってくる、ということがあるのです。
<日本の聖天様とは少し異なりますが、オリジナルエネルギー体の
ガネーシャさんたち。怖い要素もこの影響か、と。。。>
この辺りはまた少し長くなりますので、引き続き次回で
ゆるゆる、お話させて頂きますね(^^)
それでは、今回も最後までお付き合い下さいまして
ありがとうございました(^^)
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。