<鉄塔の結界>
こんにちは!
スピリチュアルコンサルタントで
スピリチュアルライターの知念樹里です(^^)
前回は、六芒星の結界パワーについてと籠目の歌、かごの模様が
六芒星になっていることについて少し触れました。
今回はちょっとこの籠目の歌を、古代イスラエルの民からの
伝承暗号としてお話ししていこうと思います。
この暗号を紐解くにあたり、世間にはいろんな説が出ているのですが、
私は霊的に「気になる」歴史的人物、惹かれる場所、ご縁などを元に、
それらの裏付けとなる事実や証拠を自分なりに確認してきています。
そんな私が霊的に「感じる」もののうちの1つに、
日本に昔からある、「言霊信仰」。
言葉には魂が宿る、と言われている所以ですね(・0・)
この言霊については、またブログ内で別の機会に
なぜ言霊なのか、詳しくお話していきたいと思っていますが、
ここではちょっと違うアプローチをしていきます(^^)
さて、古代イスラエルで使用されていた言語は古代ヘブライ語です。
この籠目の歌を、ヘブライ語で読み解いてみたら何が見えてくるか、
を探って行きたいと思います。
「かごめ かごめ かごの中の 鳥は いつ いつ 出会う
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面 だあれ」
久しぶりの籠目の歌ですが、これ、ちょっとまじまじ歌詞を見ると、
微妙に怖い感じの印象もありますよねえ~… (-_-;)
そもそも意味も不可解ですし。
でもそれにしても昔からわらべ歌として、学校でも学んでいるような
正当なわらべ歌ですので、少し気味の悪い感じがしても、
それなりにちゃんとした理由やがあって伝承してきているんです。
このわらべ歌で子供たちが遊ぶ時は、複数の子供たちが手をつないで
円を作り、その円の中に鬼にあたる1人の子を真ん中に入れて
目隠しをさせ、歌を歌いながらぐるぐる鬼の外周を、かごめの歌を
歌いながらまわって行きます。
で、最後に「後ろの正面だあれ」の時に止まり、鬼が目角をしたまま
自分の後ろ側にいる子を言い当てる遊びです。
<昔、遊んだのを覚えていますか?>
日本人なら知らない人はいませんよね。
もちろん、沖縄でもこのかごめ歌、遊びは健在です。
ではこの歌を、古代ヘブライ語に当てはめて考えていきましょうか。
「かごめ」という日本語は、籠の文様を意味したり、あるいは
「囲め」という言葉がなまって「かごめ」になったりしたもの
と解釈されていますが、ヘブライ語では「かご」は「囲む、衛る」
という意味があります。
そして「め」は、「ミィー」と発音され、「誰」「何」
という意味になります。
はい、「かごめ」は、「衛る何か」「衛る誰か」がいますよ、という
解釈が出来ますね~(’_’)
で、鬼は神仏に関わる存在で、鬼神として恐ろしい存在にもなれば、
頼もしい守り神にもなる存在です。ほら、玄関の前に鬼の面や絵を
外向きに飾って、うちには鬼嫁がいるから、あ、もとい、(・0・)
鬼がいるから、来たら怖いよ、大変だよ、というような魔除けを
する風習も日本にありますでしょう。
ああいうのは、こちらを衛る側の鬼の象徴ですね~。
つまり、ここの歌詞は、鬼のような、神に関わる何か、誰かを衛れ、
と歌っているのではないか、と思われます。
で、続いて、「籠の中の鳥は いついつ出会う」という言葉は、籠
の中に二羽の鳥がいて、まだ出会ってないことを意味していますね、
「日本語では」。
しかしヘブライ語だと、「かご」=「衛る」、「の」=「封印する」、
「鳥」=「取り下ろせ」、「いついつ(ひつひつ)」=「火を付けろ」、
「出会う 夜(でぃゆぅー よ)」=「神の社」、
「明け(あか)」=「根絶やしにする」。
はい、「え?護られて封印されているものを取り下ろして、
神の社に火をつけて、根絶やしにしろ?」
って、こっわ~~~~!!!(~□~;)
<そんなの、子供は皆知らないで遊んでるよ!>
かなり怖い意味になることが分かってきましたね。
時々このかごめの歌の怖いお話が、テレビや雑誌で取り上げられたり
していましたが、あながち遠からず。怖い意味を、私たちはどこかで
感じ取っているのかもしれませんね。
さて、ここでいう衛られている何か、誰か、は、いわゆる神仏に
関わるもので、人々にとって大切なものだったであろうと思われます。
それを取り下ろす、ので、つまり、高いところに封印されている
神仏の何かを取り下ろした後に、衛られていたものがなくなった
神の社に火を付けて、根絶やしにしろ、という解釈になります。
神仏に関わるもので、人々にとって大切なもので、古代から伝わるもの
と言えば、いわゆる神器、秘宝ではないでしょうか、日本の場合。
<日本では三種の神器が一般的な神宝ですね>
そして古代イスラエルの神器と言えば、「アロンの杖」、
「十戒の石版」、そして「マナの壺」です。
「アロンの杖」は、神がモーゼに与えたもので、「十戒」についても
しかり。神が与えた戒めですよね。
「マナの壺」については聞き及びがない方もいらっしゃるかしら。
これはですね、古代イスラエルの民がモーゼに率いられてエジプトから
脱出する際、荒野で飢えに困ってしまった時、モーゼが神に祈ると
空から「マナ」というこの世で一番おいしい食べ物が降って来て、神が
困っている人類に与えた、というものです。
これを保管しておく金の箱というものもあり、また、これを切る時に
使った板が「マナ板」、私たち日本人が使う「まな板」になったと
言われています。
<マナは通常、このような箱に保管されていたそう>
そうしたご神体、神宝を高いところから取り下ろす、ということは、
神様からの衛りを失うことを意味しています。
怖いですね、ただ事ではない感じがしますよね、この歌 (-_-;)
まだ歌詞の続きがあるので、怖いもの見たさで行ってみましょうか。
「晩に(バニティ)」=「造られた」
「鶴と亀が(ツー、カメア)」=「岩、お守り」
「滑った(ショーェヴェ)」=「水際」
「後ろの正面だあれ(フシュラッ ショーメム ダラー)」
=「地域を支配する 荒れた土地 水を引く」
という意味になります。
つまり、「水際の岩のお守りが作られ、荒れた土地に水を引いて
支配する」という意味が見えてきます。
これ、破壊と再生を表しているような読み方も出来ますねえ(=_=)
知念樹里さんの霊感では、取り下ろされた神宝、別のどこかに祀って
あるかと思われます。
で、水を引いて、水際の守り、というのは直接的に水を意味する
のではなく、水に例えられる暗喩、とも捉えられる、つまり結界、
ということです。
<奈良県 大峰山の結界>
多くの人が日本地図のレイラインを紐解こうと色々調査され、
その不思議を語っていまして、もちろん各々あります、意味が。
知念樹里さんの「感」で言うと、はい、それはまだ、四国地方の
どこかです。
古代イスラエルの民は、八重山諸島から本州へと渡って行き、
自然豊かで災害の少ない中国、四国地方に律令国家を築きました。
そしてイスラエルの神からの神宝である「契約の箱」を大事に、
四国の剣山へ祀ってありました。
<剣山の祠>
しかし国家に何やら一大事が起こって、その神宝は山の頂から
取り下ろされ、空っぽになった神を社は焼き払われ、その後の
お守りの岩を作って再び水を引いて守ってもらうこととなった、
という説が語られています。
<剣山のある徳島県>
ですがこの神宝、実はまだ四国地方のどこかにあるんじゃないかと
私は思うのです。
なぜでしょう~~~~?
どこでしょう~~~~??
ここから先は次回以降で触れていこうと思います(^^)
今回も最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。
また次回も引き続き宜しくお願い致します。
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。