こんにちは!
スピリチュアルコンサルタントで
スピリチュアルライターの知念樹里です
(^^)
前回は、ヤハウェの神は、イスラエルの神であるとともに、
沖縄の神であり、日本人の神であったということをお話ししました。
また、遠い東の地を目指して来訪した祖先と、その神々を
身の中に降ろすことで、魂のリレーをし、子孫たちへ
その思いを伝えてきた久高島の神女、祭祀儀礼のイザイホーが
古代イスラエルとつながることについてもお話ししたかと思います。
<高良倉吉著 『琉球の時代』 写真はノロ>
はい、では、この古代イスラエルと沖縄に関する関係はまあ、
分かったと、じゃあ日本本土はどうなんだ、
ということについてお話ししていきましょう(^^)
日本の生い立ちについては、沖縄には伝承という形で言い伝え的に
残っていたものが、日本本土に北上しますと、
記録でそれが残っているものがあります。それは日本最古の書物、
かの有名な「日本書紀」です。
<天岩戸神社の一角。沖縄の御嶽にも石が置かれている箇所は結構あります>
この「日本書記」は、奈良時代に成立されたとされ、
日本生誕の初代天皇である神武天皇から、持統天皇までのことが記されています。
これは天武天皇の命令で作られ、皇子の舎人親王(とねりしんのう)を
はじめ、何人かの当時の文学者によって編集されました。
全部で30巻もあり、成立は720年、編集に至ったのは、
国外に向けて日本の歴史をアピールしようということが理由でした。
ですので、天地開闢、つまり世界の始まりからのことが
記載されているのです。
<高千穂峡。天孫降臨神話と岩戸神話の2大聖地を抱える「神話のふる里」>
で、この天地開闢で神のことを記載し、そこから日本の歴史へと
つなげられているわけなのですが、こうしたことから「日本書記」は、
日本の神話を伝える最古の書物でもあることが分かると思います。
ただ、全部で30巻と長いですし、内容があっちっこちの説がくっついてきたり、
分かりにくいこともあってかどちらというと少し早い年代に出来た「古事記」の方が
広く読まれている傾向にあります。
全部で3巻とコンパクトにまとまっていますしね。
で、ここでちょっと「日本書記」ではなく、この「古事記」についての
お話しに説明に飛びます。
<「古事記」に出て来るヤマトタケル イメージ図>
「古事記」の冒頭には、「間違った神話が流布していることを危惧した」
から、ここでちゃんとまとめて、真実を伝えておかないといけない、
という意味合いを含むことが書かれている部分があるんですね。
これって、日本人の基本的な価値観を表している部分なんだろうなあ、
とわたくし日本の血も半分入っている知念樹里さんは思うんですよん(’_’)
どういうわけかと言いますと、また「日本書記」にお話しを戻しますと
(すみませんね、あっち行き、こっち行きしちゃって・・・)、
日本の始まり部分の説が書かれてある箇所に何故か別の説も、
それも複数加わっている「一書(あるふみ)」という部分があるんです。
これはつまり、「日本書紀」の中で、世界の始まりと日本の始まりは
こうこう、こういうことなんですよ~、
あ、でもですね、実は他にAという説、Bという説、Cという説、Dという説
もあって、それぞれ説明しますと、Aはですね、かくかくしかじか、
Bはですね、なんちゃらかんちゃら、Cはですねえ、、、、
という風に、別の言い伝え複数も記載されているのです。
読み手としては、う~~~~ん、いや、一体どっちの説が正しいわけ?
となっちゃいますよね。
<有名な祝詞ですね。お祓い、お清めに唱えましょう>
そう言われると、本来のお話しが本当なんですけれどね、
まあでも「ある書」のこの幾つかのお話しもありましてね、
と、お話しが堂々巡りをしてしまうので、読んでいる方としては、
いったい何だか腑に落ちない感じになっちゃうのです。
国外に日本の国の歴史をアピールするだけなら、こんな風に別の説も加えて
客観的に記述する必要はなく、一説だけずばっと書いちゃえばいいんじゃないの、
って感じがしませんか?
それをしていない、ってことは、本編で記載されているお話しを主張している者と、
「ある書」のそれぞれを主張している者たちが存在していた、ってことが
想像つきますよね。。
で、本編を主張している者は、他の主張者たちのことも掲載したんです。
何のために?
はい、そこです!(-_-)
おそらく、私の見解ではこの頃から「怨霊」の存在があったからではないかと。。。
<怨霊は、必ずしも死んだ者だけがなるわけではないです>
どういうことかと言いますと、
政治的な世界では、勝者、敗者が必ず存在します。
国家が存在するということは、政治が必要ということ。
そうであれば、この時代ももちろん、政治的な勝者、敗者がいたわけです。
日本で国家が出来てきたのはヤマト朝廷、倭の国なるものが
台頭してきた3世紀ごろ。いわゆる古墳時代と呼ばれる時代です。
王の権力を示す分かりやすい一つの建造物でもありますよね、この古墳。
<大阪府堺市にある仁徳天皇陵>
で、王がいたということは、王の下に統治された人々がいたということ。
そこには必然、政治が存在していたわけです。
政治は基本的に権力闘争です。これは今でも同じですね。
最近でこそ政治的敗者は死ぬことはなくなりましたが、
クーデターやら何やらで、明治時代くらいまではこの日本でも
暗殺や討伐があったりしました。
政治的敗者じゃなくても、政治に関わる者の暗殺なんか、
有名なところでは総理大臣の伊藤博文や、坂本龍馬あたりも
それで亡くなっているわけですよね。
<坂本龍馬像。知らない人はいないくらい、有名な方ですね>
基本的に志し半ばで殺されたら、普通に考えて人は「無念」、と
なりますし、それがこの世に未練を残すことになり、「うらめしや~」と
怨霊になって行く、わけです。
<霊が出る前に現れる火の玉。>
日本の独自文化が一番花開いたとされる平安時代には、
この怨霊が当たり前のように出ていて、それを鎮める役割を
陰陽師が国家の役人として執り行っていましたし、
仏教ですら、お葬式でお経を唱え亡くなった人を彼の世に導き
成仏してもらう、という日本独特の世界観を持ち始めました。
ですので、日本の始まりだけでも「書(あるふみ)」がいくつもあるのには、
おそらくこの怨霊たち、つまり政治的敗者への配慮があってのことなのでは、
という感じがするのです。
少し話はそれますが、平安時代に藤原道長(政治的な勝者で有名な人ですね)の娘、
藤原彰子の家庭教師役だった紫式部に源氏物語を書かせました。
道長は昔の敵だった「源氏」を主役にした物語をあえて、式部に書かせたんです。
<紫式部像。それにしても54帖もの物語をあの時代に。すごいです。>
なぜそんな敵を讃えるようなことをしたのか、ってことですよね。
そもそも道長と言えば、
「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることもなし思へば」
なんて、
「世界は自分のもの。ちょうど満月が欠ける部分がないように、
この世界は全て自分の思い通りの世界。
そこに何一つかけるものなんぞありはしない」
と、すごい歌を詠っています。
そこまで権力を持った人でも、敵を讃えなきゃいけない理由があったんです。
それはこ亡き敵が怨霊となり、自分のことを祟らないよう
鎮魂をするため、だったんですよね~。
<祟らないで~~~~~~!!!>
基本的には日本の物語は小説、や演劇、漫画、アニメであっても
「神話」であり、霊的な意味合いを含んでいます。
その近い文化的証拠が、この古典の数々に見え隠れしているわけです。
またこうした物語の大元が、古代イスラエルのユダヤ教に見られる
聖書、つまり旧約聖書にあるんです。
旧約聖書は、神との「古い契約」という意味があり、
神が古代イスラエル民族に与えた契約のことをいいます。
<偏見なしに、たまには聖書を読んでみるのもおススメです>
旧約聖書は、律法(りっぽう)、予言者(よげんしゃ・預言書)、
諸書(しょしょ)の三部構成で、内容は神による天地創造に始まって、
紀元前331年までのイスラエル民族の歴史が、神による選択と
救済の歴史として書かれているものです。
つまり、神が人間を救済する条件交換、を約束にしているわけです。
<神は自ら助くる者を助く。私たちは本当の意味で自らを助けているのでしょうか?>
う~~~ん。。。
な~んとなく、「日本書紀」にも「古事記」の作りに通じるものが
あって、似てませんか?(^^)
鎮魂は魂の救済ですからね。
政治的敗者を、国家レベルの書物に取り上げ、ヒーロー化して
広く皆に周知し、褒め称えさせ(あるいは)、あなたを皆に憧れさせるから、
怒りをおさめて安らかに眠って下さい、という交換条件スタイルなわけです。
そう、なので、遠い遠い古代イスラエルの面影は、
私たちの現代アニメの中ですら、その片鱗を見ることが出来るんです。
宮崎駿大先生の『もののけ姫』に始まって、最近の少年漫画で人気の
『鬼滅の刀(きめつのやいば)』という作品も、世界的ヒットとなった
『NARUTO(ナルト)疾風伝』も、やはり根底は神話と鎮魂、
祖霊の魂のリレーが潜んでいます。こうしたアニメについては機会があったら
今後ブログでも取り上げて行きたいと思います(^^)
日本のアニメが文化、芸術になり得る大きな理由が私たちの中に住む
古代イスラエルをこの血に残し、慈しみ、文化をはぐくんできたからこそ。
何千年ものこの「思い」、つまりは「魂」が脈々と受け継がれてきたわけです。
「思い」は永遠。
それは、「魂」は永遠、という意味ですが、まさにその通りですね。
<受け継ぎ、受け継がれていく思いは永劫です。>
はい、だいぶ話はそれてしまいました~(/==)/
もとい。。。。(--;)
この日本神話における神々は、アメノミナカヌシ神が最高神とされ、他の
あまたよろずの神々と一緒に、高天原(タカマガハラ)
という天界に住んでいたとされています。
<天界と地上。イメージ図>
その頃は、地上のことを「葦原の中つ国」(あしわらのなかつくに)
彼の世は「黄泉の国」(よみのくに)と呼ばれていました。
さて、ここでも古代イスラエルとの関連が出てきます。
古代イスラエルの始祖、アブラハムのことを少し前のブログで
お話ししたかと思うのですが、覚えていらっしゃいますか?
このアブラハムですが、彼の故郷は「タガマ・ハラン」という地名なのです。
その故郷を忘れないように、高天原(タカマガハラ)を
神たちの住む世界の呼び名とした、という説があります。
そう、古代イスラエルの神が約束の地として東の地を目指せと
イザヤの予言を受けた先祖が、八重山諸島を神の住む山々とし、
那覇を安住の地とし、さらに北上した日本本土を葦原の中つ国とし、
そして神が住んでいた土地から来たことの証を残そうと
日本神話の中に伝承したのでしょうね。
この葦原の中つ国がなぜ本土なのか、といいますと、現在の中国地方で、
山口県の古い呼び名に、「中つ国」という呼び方があるのをご存じでしょうか?
<山口県青海島の奇岩。美しい海ですね。>
出雲大社の島根県あたりから、山口県あたりをそのように
呼んだのではないか、という風にも憶測できますよね。
そもそも出雲大社も神話では有名で、鳥取、島根の土地は
聖地区域がありますし、鬼ヶ島を目指した桃太郎伝説は岡山県、
その近隣に広島県や山口県があり、中国地方は日本本土の中央に位置する
山林地方でもあります。まあ、この辺も実は色々関連がある地域なのですよん。
ここらへんのお話しも、おいおいブログにて言及していきますね(^^)
その一つとして、この出雲大社は、沖縄本島の天岩戸伝説のあるクマヤ洞窟、
一番際立つ土地の指標となる、伊是名島の城山とレイラインで
結ぶことが出来るんです。
<出雲大社の拝殿。大きなしめ縄が立派です。>
いやあ、何だか色々、関連性がありそうですねえ~(^^)
<日本人の約40%は、古代イスラエルの民、ユダヤ人と密接なつながりがあるそう。>
いきなりですが、個人的なことですが、十年以上前、私の従姉妹に娘が生まれました。
二人目の妹が生まれてまだ小さい時、従姉妹から二人の七五三の写真を
送ってもらったことがありました。
それを見た時、一瞬で私は、
「え?私?この二人の中に私がいる?!」
って思ったんですよ。
自分に似ている部分が、私の感情をグラグラっと、
大地震のように揺さぶったのです。
そして次の瞬間、何とも言えない愛情が心の底から湧き上がってきて、
「可愛い!!!!!」
「愛おしい!!!!!」
と強く、強く感じたのです。
<これは従姉妹の娘たちではなく、ただのかわいい赤ちゃんたちです( ´艸`)>
遺伝子って、すごいな、と思いました。
彼女たちが可愛くて、その思いには、我が血を分けた愛おしさがありました。
<3割の遺伝要員、7割は環境要因と言われていますよね。>
血のつながりって、彼女たちと時間も共有していなくとも
こんな風に瞬時に特別な存在になりうるのだな、と
実感したのですが、私たちが祖先の古代イスラエルの民に
遠い遠い記憶の中で、このような愛おしさを彼らに感じ、敬愛していることと、
根本は一緒なんだな、と私は思ったりするわけです。
祖先たちも子孫は可愛いかったのでしょうし、やっぱり
自らの欠片をつないでほしいと考えていたように思えるのです。
思いは永遠である、という言葉のように、
祖先の、私たち子孫への思いがある限り、私たちもその片鱗に特別な気持ちを抱き、
自然に崇拝したくなるのかもしれません。
だって、彼らがこの土地に来て命をつないでくれたからこそ、
私たちは生きているわけですからね(^^)
<思いは永遠>
はい、今回も最後までご拝読頂きまして、ありがとうございました(^^)
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。