こんにちは!
スピリチュアルコンサルタントで
スピリチュアルライターの知念樹里です(^^)
少しブログ更新が滞ってしまいました~~m(__)m
今回は前回からのお話しの続き、をしていこうかと思いましたが、
ちょっと少しばかり批判めいたことを書かないといけないかな、と
思う部分がございまして、どう書くか、考えあぐねておりました。
私自身の血統を全て批判するつもりはないのですが、
これは違うぞ、と思うことは、身内であろうと他人であろうと
身内びいきをするのは性に合わないのが、
面倒くさい性格の知念樹里さん。。。
ですので、今回は、沖縄のスピリチュアル文化で私が
それは違うよ、おかしいんじゃないの、という側面を
お伝えしたいと思います。
さて、いきなりですが、沖縄の神(祝)女、ノロ文化。
そもそも最初っから、神女と書くと、ちょっとあなた
人間のくせに何様?って思う人もいらっしゃるかもしれません。
そう、人間ごときが神だと言うのって、それこそ
怪しい新興宗教に聞こえなくもない。。。
ですが、沖縄の人間は、神人、神女、かみんちゅ、なんて
表現しますが、別に生き神様だとも思っていません。
これ、単純に言葉のボキャブラリーの使い方、感覚の問題なのです。
こう見えて知念樹里さん、大学は国文学科卒、言語学の歴史も
文化人類学や比較文化学なども、少~~し齧った
遠い昔の知識もあるので、そこから言えることは、
そもそも、日本だって主語を省いても通用する言語を使用している
いわゆる狭い島国。
沖縄はもっともっと小さい狭い狭い、島の島。
かなりの言葉の「はしょり(省略)」もあれば、地域共同体の意識が
非常~~~に狭い上、似通ったものになっているんです。
個人は個人、という価値観が通用しないそんな島社会で、
かなりの個人主義な性格であるわたくし知念樹里さんは
毎日生きていくのがしんどかったなあ、という気持ちです。
知人の霊能者が、沖縄での私の生活が修行、と言った意味が
そこにも含まれていたのか、と思ったり。。。
あ、余談ですが、、、
霊能者と言われる方々のほとんどは、自分のことは
あまり分かりません。見せて頂けないのです、一部のことしか。
なので、お互いそうした力のある方に時々視てもらったり、
あるいはそういう人たちと交友関係を持って、互いに必要な時
視てもらったり、ということをしたりしています。
かくいう私もそんな感じです(^^)
話を戻しますね(笑・毎回余談が多くてすみません)。
で、そんな言葉足らずの文化&狭い共同体社会の沖縄、島社会、
という素地がある中ですので、神様のお使い、という意味合いで
かみんちゅ、というボキャブラリーを使ってきたようだ、
なので、日本本土でいう、アラビトガミ的な意味合いとはちょいと
違う感覚なのですよね。
まあ、そんなかみんちゅ文化ですが、非常に原始の日本古代の
自然神信仰に似た部分もあるんです。
邪馬台国の卑弥呼が民間シャーマンになったらユタ、というか。
私の究極な個人的見解では、ユタは、神ダーリで神様が降りて来て
ユタになるのではなく、仏教なんかでいうところの、
「眷属」さんが憑依して来て、そういう感性をもたらす、
あるいはその「眷属」さんがずっと憑依した感じに
なり、良いものとも悪いものとも分けることが出来ない、
不思議なエネルギーに満ちた存在になるのではないか、
ということです。
実際ですね、御嶽なんかに漂っている気、いわゆる霊力って、
うちの近所の桜の妖精みたいな透き通った気ではない
ことが多いんです。
どちらかというと、もっと本質が違う、天使と堕天使の
二面性を持った霊体、あるいはエネルギー、という感じなのです。
ですので、少し霊感の高い方がそういう場へ行くと、怖いと
感じられる場合もあるかと思います。
まあ、でも、怖いと言えば、仏教の仏様に付いている眷属さんたち
も同じですしね。
仏様の中で、「天」部に属する神様は、もともとが荒ぶる神だったり
悪魔的要素も持っていたことのある存在だったりします。
それが改心して仏の道を歩み始めた、という背景があります。
その「天」部の仏さまたちが従えている子分たちが、
いわゆる「眷属」と呼ばれる自然霊たちです。
<日本の稲荷信仰は二種類。密教系と神社系>
これって、いわゆる、万物は全て相対性の存在ですよ、つまり
右があったら左がありますよ、上があったら下がありますよ、
イザナギがいたらイザナミがいますよ、の対の事象や、
等価交換の法則の錬金術、カルマの法則などと似た類のことに
端を欲しているのです。
何か難しい表現しちゃっている知念樹里さんですが、ぶっちゃけな話、
基本的にモノゴトの善か悪か、なんてものは、人間のその時々、
歴史の時々、状況によって変わるものなのです。なので、善悪って
突き詰めると本当にそれって善なの?悪なの?
となることが多いんです。
そもそも、広大な自然、太陽系、銀河系、ひいては宇宙なんぞ
善も悪もない、ものすごいエネルギー体、エネルギー空間、
エネルギーを帯びた量子だらけです。
単に、ベクトルの向きが、人間にとって優しいとかいう都合で
ある方向へ向いているか、もしくは人間にとって
災いをもたらす悪い怖いもの、という解釈でどこかの方向へ
向いているか、だけの違いなのです。
それはただの人間の小さな脳の考えた判断、結論であって、
もっと言えば、自分の身を守るために、自分を攻撃する者へは強い
ストレスや敵意を感じるようになっている人間のDNAのせいであっで、
で、このベクトルの向きが良い悪いとはそんなDNAの偏見であって、
つまりは、真実ではない、ということなのです。
ですので、まあ、眷属さんの低い位のものが憑いていたとして、
だからといってそのユタが悪い、間違い、というような
ジャッジは簡単に出来るものでもないのですのよん(-。-)
はい、ですが、、、
知念樹里さんは、基本的にあれこれ子孫にお願いばっかりしてくる
先祖ってどうなのかしら、と思ってしまうのです。
ユタの判断で、
「あなたの父方の先祖が生前、かくかくしかじか、無念なことが
あったんで、こうしてほしい、こうしたら成仏できてあなたも
難儀なことが降りかからないようになる」
ということを言われるケースって、結構多いと思います。
子孫にしがみつく先祖の霊って、言葉を変えれば先祖は子孫を祟るもの、
ってことでしょう?
それを中心に判断して、祟っている先祖と、その先祖の因縁を受けて
苦しんでいる子孫の仲裁をすることが大半の沖縄ユタの仕事、
っていうの、何か変じゃないですぅ~???(-”-)
時には毒親という人間もいるので、そういう先祖がいてもありかな、
とは思いますが、過半数のユタさんって
そうやって先祖の祟りを子孫に伝えるわけです。
で、知念樹里さんが思う、沖縄の文化のさらに妙なところは、
そうして子孫にしがみついて成仏しないでいる先祖をあっさり
許しちゃうこと(--;)
なので、ノロやユタの血統を頂いても、それをそのまま
引き継いで仕事にする、っていうのはちょっと違うな、と
思ったので、私はスピリチュアルコンサルコンサルタント、という
自分の枠組みを作った、というところでしょうか。
あなたは神棚を持たず、生家を離れて神職に就く、と予言され続けた
通りになっているのは、ちょっと悔しいですけれど、まあ、
これはこれでありき、ですね(^^)
さてさて、批判的なことはそろそろ終わりにしましょうか。
次回以降もまた、沖縄でのお話しを中心にしていきますね。
今回も最後までご拝読頂きまして、ありがとうございました(^^)
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。