皆さま こんにちは (^^)
スピリチュアルコンサルタントでスピリチュアルライターの
知念樹里でございます。
さて今回は、前回お話ししたように、「御嶽」(ウタキ)に
ついてを中心にご説明していきますね(^^)
あ、初めにお断りしておきますが、御嶽(ウタキ)に関する学術的な記録や
観光としての紹介媒体は、Google先生で検索すれば結構たくさん
出てきますので、そうしたことがお知りになりたい場合は大変恐縮では
ございますが、ご自身で調べてみてくださいね。
ここではスピリチュアル的な観点でのお話しをさせて頂くにあたり、
御嶽(ウタキ)という存在がノロやユタには欠かせないものであるので、
軽~く、難しくないようにお話しをさせていただこう、という知念樹里の
個人的な意向でございます (^^)
さてさて、本題に入ります。
この御嶽(ウタキ)という言葉を聞いたことがない方もいらっしゃると思います。
ざっと簡単に表現してしまえば、沖縄版神社のような存在でありながら、
その形状は「何もない木々の生い茂る自然」の土地を成していることが多く、
そして、一般的に「聖地」とされている場所のことです。
<久米島フボー御嶽(ウタキ)>
御嶽(ウタキ)は原始神社のような存在ではありますが、沖縄の御嶽(ウタキ)は
神社のように誰もが気軽に参拝していいかというと、そうではなくて
関係のない人は立ち入ることが出来ない場所なんです。
特に男性は厳しく立ち入りを禁じられる御嶽(ウタキ)がほとんどです。
基本的にやっぱり昔から沖縄は、「かかあ殿下」文化なのではないかな~、と
私は周囲の沖縄のおばあたちを見て、思います(笑)。
でもこの御嶽(ウタキ)は、世界遺産となっている斎場御嶽(セーファーウタキ)
以外は入っちゃいけませんというようになっていますが、
わたくし知念樹里個人の場合は、御嶽(ウタキ)というものは普通に入って
お祈りをして構わないもの、という認識が小さい頃からありました。
事実、私はそうしてきた時期もありまして。。。
<セーファー御嶽(ウタキ)>
ただそれは後から色んな方々に聞いたら、私が八重山諸島で一番大きい
御嶽(ウタキ)を守る祖母の直系であったからOKだった、
という理由からだったようです。
なので、やっぱり一般の方は入れない、少なくともその御嶽(ウタキ)の
担当をしているノロあるいはユタ(現在ではユタがその代理を
務めるケースが多くなっています)に一緒についてきてもらい
御嶽(ウタキ)の神様にご挨拶をしてから、というステップが必要になります。
で、そもそもそうした御嶽(ウタキ)の担当ノロやユタを探そうたって、
タウンページに載っているわけでもなければ、ネットでサイトを
持っているわけでもありません。
当然、市役所なんかの自治体でもそんな記録は控えていませんので、
地元の人間からの情報のみで探し出すことになります。
それは結構至難の業なので、結局やっぱりそんなに簡単には御嶽(ウタキ)には
立ち入れない、ということになるわけです(--;)
ノロは、これら御嶽(ウタキ)を守る神官、巫女、のような存在で、
個々に守護すべき御嶽(ウタキ)が決められていまして、
これは第二尚氏王朝で決められて割り当てられたものが基軸となっています。
<恋愛成就の言い伝えのある許田の手水。近くに御嶽(ウタキ)の拝所もあります>
ただ、血統の世襲制であるノロは、後継者がいないという状況に
だいぶ前から悩まされていまして、代わりにその家に嫁いできた
お嫁さんが代理ノロを務めていたり、それでも成り手がいない場合は、
民間シャーマンのユタが神様と話をして、どのユタがどこの御嶽(ウタキ)を担当する、
というようなことを決めて御嶽(ウタキ)を守っているケースも増えています。
特殊な職業はどこも人手不足なのかもしれませんね。
さて、御嶽(ウタキ)は、その多くは木々などの自然です、と先に申し上げましたね。
<こんな感じのところもあります>
ですので時に山が御嶽(ウタキ)になっている沖縄本島北部の、
金剛石林山(安須森御獄、アシハイウタキ)のような御嶽(ウタキ)があったり、
鳥居を入り口に構えている造りのものがあったり、
形状としては、自然以外は、建造物的なものの統一性があるような
造りにはなっていません。
時々イビと呼ばれる石がある御嶽(ウタキ)があることもありますが、
それはそのイビ石に神様が下りてくるためのものとして置かれています。
<イビ石の門のような造りがある御嶽(ウタキ)>
私の出身である八重山地方は、そもそもが島流し(※注)の土地ですので、
沖縄本島とも状況が違っていたりすることがあり、過去のノロのお墓が
御嶽(ウタキ)になっている箇所もあります。
お墓と言っても、昔々のものですので、不揃いないくつかの石が
並んでいるものであったりと、そんなにたいそうなものではない感じなのですが、
そこは、ニライカナイ(理想郷)にいる祖先神となったノロが
その地域を聖地の自然霊と一緒になって守るために降りてくる、
というような意味合いになりますでしょうか。。。(’_’)
基本的に沖縄の信仰が先祖崇拝ですので、本来はノロが
沖縄以外の人のために祈ることや、ユタが沖縄以外の人のことで、
霊媒的な交信や鑑定をすることはダメ、とされている地域も
その昔は結構あったりしたのです。
ひょっとしたら今もそうされている地域もあるかもしれません。
現代の観点からしますと、そういう価値観は非常に排他的であるのですが、
沖縄は排他を通して来ていたから、特殊な文化が残ったのもあることは否定できません。
物事には良い面、悪い面以外にも、良いとか悪いとかで
枠組み出来ないことがたくさんあるものですが、この沖縄の排他的な
部分というのも良い悪い、という問題ではないと私は考えています (^^)
<黒島のとある御嶽(ウタキ)>
私は八重山諸島の出身者なので、イビ石がお墓のようになっている御嶽(ウタキ)や
鳥居あって、拝所が設けられているような御嶽(ウタキ)という形状を見慣れていました。
ですので20年ほど沖縄本島にも住んできていますが、
最初は何もない沖縄本島的な御嶽(ウタキ)には、少し不思議な感じがしたものです。
ただ、拝所やイビ石があるにしろ、自然の木々があるだけにしろ、
御嶽(ウタキ)はだいたいがどっちにしても昔からの聖域なので、それなりにパワーが
ある場所が多いのは事実です。
<自然の木々の中に拝所がある。これも八重山諸島おのとある御嶽(ウタキ)>
あと、全ての御嶽(ウタキ)がそうだというわけではないですが、
パワースポットになるほどの力がある、ということは時として問題と
なることもあったりします。
え?これって仏教で言うような眷属さんが居座っている?というような、
善とも悪とも思えない、強いエネルギー体が座っている、という
何だか微妙な御嶽(ウタキ)もあったりします。。。ちょっと怖い感じですよね。
なぜそういうことになるのかと言いますと、多くの方が拝む場所は
色々な念が溜まりやすいからなんです。
その念につられて自然霊である眷属さんがエネルギー形状を変えて
妙な感じのものになって、その場所に引き寄せられ居ついてしまった、
という感じになっていたり、あるいは浮かばれない者たちが聖域に来て
浄化してもらおう、成仏させてもらおう、というように
周辺をうろうろしていたりする場合などがあり、実は御嶽(ウタキ)をはじめとする
パワースポットという聖地へはたどり着くまで、結構大変だったりするのです。
読者の皆様も最近は御朱印帳集め等で、神社仏閣めぐりが流行っていますが、
沖縄のみならず本土の神社仏閣、いわゆるパワースポットと呼ばれる
箇所のうち幾つかは、そうした箇所もありますので、気を付けて下さいね。
では、今回はここまでにしたいと思います。
最後までお読み下さってありがとうございました(^^)
スピリチュアルコンサルタント
スピリチュアルライター
知念樹里
(※注:島流しとは、琉球王朝時代に沖縄本島で犯罪を犯した者は、石垣島を
中心とする八重山諸島と、宮古島に分けて島流しの罰を与えたという歴史上のお話し。
宮古島は主に海賊などの犯罪者で、八重山諸島は政治犯を流した、とされています。)
追記:このブログは学術的な内容ではなく、あくまで知念樹里の霊的感性、価値観、独断によるエンターティメントな執筆となりますので、一部、文献等で記載されている内容と異なる場合があります。また、本内容は掲載後に作者・知念樹里によってリライトすることがあります。ご了承下さい。